2013年07月07日

明治32年夏場所開幕せず その2(朝日新聞/明治32.5.22)


○大角觝大紛議の続聞
・回向院五月場所大角觝開場の間際に至り突然内部に大紛議を生じ、ために開場に至らず無期限休業となりし次第はほぼ前号に尽くしたり、今その続聞を記さんに、そもそも今回の紛議は一朝一夕に起こりたるにあらず、今春以来東西力士合併をなし地方興行をなし居りし際、西の方にては協会の整理の立たざるを見、今に於いて矯正せざれば力士の行く末覚束なきものありとて密々協議を凝らせし事あり、其の際東の方へ交渉に及びたるに意見に相違する所ありて合同せず、ために一致の運動をなす事あたわざりしに、此の頃発行せし好角雑誌なるものあり其の紙上に於いて痛く高砂部屋一同を非難せしより、東部屋有力の力士は大いに不快の感を抱き此の記事は畢竟この道の者の手より出たるに相違なしとて、ここに初めて西方に賛成し一致して協会を攻撃するに決せしなり。
・かくて東西力士は寄々に密議をなし遂に協会に対し(一)検査役に中等汽車の乗車を許し紫房行司即ち木村庄之助同じく瀬平の二人に下等汽車へ乗せしむる事(二)無断にて検査役の給金を増加せし事(三)歩持ち年寄に対する力士の歩割比較的小額なる事、等を理由としてこれが改正を望み併せて検査役の改選を申込みたるに、協会は昨日の紙上に記載せし如く、固くとってこれに応ぜずここに於いて力士一同は両国中村楼に集会し善後策の相談に掛りたり。
・しかるに協会にては、かく力士連の請求をこそ斥けたれどなるべくは事の穏便を望む所より、俄かに各年寄を協会へ召集し各部屋部屋の力士に対し利害を説いて和解せしむる事を託したれば、各年寄は一昨夜その部屋部屋の力士を集め百方説諭をなしたるも、力士等の団結堅くして容易に服すべき気色見えず、各年寄も飽み果てこの旨協会へ復命せしにぞ、協会にては師の説諭をだも聞かずとならば此の上は止むを得ず同盟力士を番付より除き他の力士にて開場せんと謀りしに、此のこと早くも力士連へ通報する者ありて一層の激昂の度を高め、かく我々の請求を容れずかえって師の命に背きしを咎め破門するとあらば甘んじて破門を受くべし、此の東京のみに日の照るものかはとて少しも動ずる色なきのみか一昨日午後四時より更に両国中村楼に集会して何やらん密議に掛かり、此の席には何人たりとも立ち寄らしめず夜に入るまでも退散せざりしより、本所警察署にては此の力士の会合は集合条例に抵触するものなりとて特に警部一名巡査一名を同楼へ派し、主立ちたる会主に面会の上その解散を命ぜしめたり。
・よって警部巡査は同楼に行き、使を通じて会主に面会を求めしに、今日の集会には会主たる者なしとの返答なれば、さらば三役に面会せんと言いしに三役は警部等に面会するを厭いしものか裏梯子より降りて早々帰宅したるを以て、警部等は止むを得ず兎も角も今日は解散せよ明日三役を警察署へ出頭せしめよと命じ帰署の上この顛末を復命せしかば、市川本所警察署長は一方ならず心痛し力士社会にかかる紛擾を生ぜしは世間の人を驚かすのみかは区内の繁昌を傷つくるものなれば一日も早く和解せしめ本場所を開場せしめんに如かずとて、かねてかかる事に経験ある現本所区長飯島保篤、元本所区長伊志田友方および元同警察署長たりし室田景辰の三氏を訪い仲裁の事を談ぜしに、三氏とも快くこれを諾したれば、市川所長も一個人の資格を以て和解に尽力するに決し一昨夜十時東の方小錦朝汐逆鉾源氏山常陸山の五名、西の方大砲梅ノ谷荒岩鳳凰谷ノ音の五名に対し懇談したき事ありとて招状を発したり、しかるに解散の命を受けたる力士等は直ちに中村楼を退散し各郎屋部屋へ戻りしが、また寄々に会合し三役とあるべき者が如何に警察官の来れりとはいえ裏より逃げ出すようにては目的を達すること叶い難からん、全体この事件は誰が起こしてかくなりしものぞなど口々に罵り、果ては発起の奴が悪者なれば見付け次第に坊主になさんとひしめくもありて自ずから仲間割れの姿となり、愚痴を並ベつつ稽古するも見受たり。かくて署長より招かれし人々は小錦の羽織着たるを除くの外、他はみな単物一枚にて昨日午前十時頃稽古場より本所署会議所へ出頭せしが、大砲は病気のため出頭せず同所には署長を始め室田、飯島の二氏ほかに青木庄太郎氏もあり力士等を見て百方説諭をなし早く和解せよと勧誘して引き取らしめ、更に協会の阿武松関ノ戸若藤等を招き是等にも篤く説諭したり、されば小錦等は警察署を去りてのち回向院前の高砂屋に会し再び密議を開きしが、昨日午後五時頃まで何等の決議にも至らざりき。
・右紛議に関し木村庄之助、同じく瀬平の二人は歩持ち年寄にて行司を兼ぬるものなるが力士の同盟に加入したりとて一昨日午後協会へ呼ばれ痛く油を取られたり、また元の両國すなわち今の年寄伊勢ヶ濱勘太夫はかねてより囲碁を嗜み常に田子ノ浦を相手として盤面を争い三食を忘るる程なりしが、今回の紛議の最中ある人勘太夫に向かい碁は如何と尋ねしに、何して碁どころの沙汰ではない、収まりの付く工夫が大事だと真顔になって騒ぎ居しは平素の柄に不似合なりし。

スト事件の続報です。力士側の要求には行司の待遇改善も含まれており、行司は力士側についているということでしょうか。協会としてはまず各親方に命じてそれぞれの部屋で力士たちへの説得を試みましたがうまくいかず、師匠に背く力士を番付から除外しようという意見も出ましたが、それが力士側に伝わり関係が悪化してしまいました。その後、集会を禁ずる条例に反したとのことで警察が介入することとなり、飯島・伊志田・室田の三氏が仲介にあたることとなりました。これは三年前の中村楼事件の時と同じ顔触れです。力士側・協会側それぞれ呼び出して説得してみますが、進展なしです。ちなみに行司は完全に力士サイドというわけでもないようで、協会に呼び出されてひどく油を絞られたとのことです(;・ω・)
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2013年06月22日

明治32年夏場所開幕せず その1(朝日新聞/明治32.5.21)


○回向院大角觝の大紛議続聞(大角觝の無期限休業)
・昨二十日を以て初日を開場すべき回向院五月場所は、一昨日の午後に至り突然内部に紛議を生じ、午後四時頃より年寄阿武松をはじめ検査役並びに東西両大関等浅草代地の小中村楼へ会し秘密会を開きしため、其の結果に依りては或いは初日の開場もいかに成り行くべきや覚束なし云々とは取りあえず昨紙欄外に特報したるが、昨日は遂に初日開場の運びに至らず、否昨日はおろか此の紛紜の氷解落着せざる限り三日五日十日も開場すまじく、すでに昨日のごときは幟をも立てず太鼓も打たず、さればかかる紛議のありとも知らで朝未明より押しかけたる観客等は回向院に至りて開いた口の塞がらず、小屋へ立ち寄りて差し覗けば場内寂々寥々としてあたかも暴風の吹き過ぎたる跡の如き観あり、その櫓下には「休業」の札を掲げたるにぞ、いづれも失望して悄然と立ち帰りたり、今この紛擾を醸したる真因及び続聞を記せば次の如し。
・さて其のむかし角力会所の存立せし頃筆頭、筆脇(即ち現今の取締及び副取締なり)組頭(即ち現今の検査役)なるものあり、常時筆頭筆脇の権力は実に飛ぶ鳥をも落すべき勢あり、力士は自然その権に圧されその威に屈し居りしほどにて、組頭の給料は金三十両(十日間)而して各地方へ出張する際といえども決して此の給金割は動かざりしが、明治二十一・二年頃角觝会所の名目は角力協会と改められ其の規約にも改正を加え、従前よりの圧制主義を撤回し、且つ力士の最高給金二十二両なりしを四十五円に進めたり、されど当時は角觝萎靡として振わず、取締の年俸百円にて常に協会に於て百般の事務を執り、検査役は金二十円、木戸部長十円、以下二等に分かち最下を七円と定めて興行しつつありしが、一昨年頃より俄然隆盛に赴きしにぞ更に又力士奨励のため増給の割を高め、且つ又九日間負け通したる力士といえども欠勤さえせざれば五十銭づつ増給すべき内規に改め、地方興行の際検査役は従来十円にてありしを十五円に引き上げたり、然るに検査役なるものは力士の技倆及び勤怠を監察し且つ興行上の交際も多ければ到底十円十五円の給金にては不足なるが、力士との権衡を失するの嫌いあるを以て一時に多額の増給を行う能わず、依って今回水戸地方の興行より協会の専断を以て検査役の給料を三円だけ増加し即ち十八円とは為したり。
・さるほどに、去る十五日の夜帰京したる東部屋の幕内力士等は斯くと聞くより大いに立腹し、翌十六日同部屋の面々浅草田圃の平野亭に秘密会を開き西部屋力士へ交渉する所ありしより、西部屋力士も思い思いに会合し十八日の夜を以て協会へ迫りたる理由の要点は、たとえ少額なるにもせよ我々力士へ一言の相談なくして引き上げしは如何なる次第なるや、斯様の取締役以下検査役の下に居りては以来相撲は取らず、と云い出したるにて協会の面々は一昨日午後より浅草代地の小中村楼に相談会を開き事を穏便に運ばんと東西三役に謀る所ありしが、彼等は固く取って応ずる模様の見えざるより、協会はやむ無く昨日の初日を休業し彼等より折合を付けざる内は幾日経るとも興行せざる事に決定したれば、いづれ何人か其の間に仲裁の労を取らざれば初日を興行するの運びに至らざるべし。
・以士は紛紜の原因として見るべきものなるが、力士中不満を抱ける者等は容易に其の立腹を解かず、そもそも協会の役員なる者は我々より選挙して任じたるものなるに斯く専断の所為に出づること不都合千万なりなど怒鳴り居れば、もし仲裁する人おれば些少の事柄にも必ず一の条件を付して持ち込むべし、又協会の役員は年寄七十余名と東西力士及び足袋以上の行司を合わせ総計百二十余名の選挙に当選就任したるものにて取締は斯道隆盛のために督励して万端の事務を執り、各検査役は力士の優劣を審査するの任務を帯びて敢えてやましき所なければ今回の如く力士に容喙せらるべき理由なしとて要求を斥け、双方とも気焔なかなか盛んなれば、此の上は非常に有力なる仲裁者ありて双方の顔の立つべきように折合を付けざるに於ては、或は古来その例なき五月場所興行廃止の不幸を来たすやも未だ以て知るべからず、兎も角も回向院大角觝をかかる苦々しき問題のために廃止する等の事あらんには斯道の歴史の上に情けなき汚点を残すのみならず、折角力瘤を入れたる江湖幾多好角家の人気を挫くことあるべければ一日も早く和解落着せしめたきものなり。
・因みに記す、東西幕内力士は以上の如く苦情を持込み居れど、一方には例の甚だ無邪気にて昨朝も午前六時より各々稽古場へ赴き平日の如くに笑語して常陸朝汐小錦は東の稽古場にて我も相撲い弟子にも教え、また西の稽古場には鳳凰梅ノ谷海山の面々一心に技倆を鍛え弟子にも懇ろに教えある等、一寸見たところでは何事の起こりて休業せしにや少しも知れざるほどなりしとぞ。
○相撲年寄境川の賭博犯
・本所区横網町二丁目七番地に住む相撲年寄境川浪右衛門こと高塚彦右衛門(四十七)は、旧名総ノ海と呼び其の頃より賭博を好みて仲間にも度々意見されたるが、なお全くやめ得ずして今回も大場所が始まるとてかねて贔屓を受くる栃木県那須郡鍋掛村薄井兼造(三十五)ら両三名が見物かたがた上京して訪ね来りしかば、境川に大いに喜び再昨夜は自宅に宿泊せしめ酒肴など取寄せて馳走し居たる折、平素の賭博仲間なる日本橋区蠣殼町一丁目四番地谷萩捨吉(四十五)斎藤梅吉(二十二)を始め三十四五人が来り会したちまち賭博のむしろを開きて一座勝負の真っ最中、早くも其の筋の耳に入り一昨日午前一時頃数名の警官踏み込んで、驚き逃げる一座の者を片っ端より取り押さえ境川はじめ薄井兼吉ほか五名を引致したれば、相撲仲間も大いに心配し是非とも嘆願せんと奔走の効もなく昨朝遂に境川等は検事局へ送られたり、目下相撲道には別項記載の如き大紛議あるうえ大場所興行に際して年寄中にかかる犯罪者を出ししは重ね重ね同社会の恥辱というべし。

突然ですが、場所が始まりません(;・ω・)力士のストライキなのですが、原因は親方衆の昇給です。このところ大相撲は客入りが良く、その収益をどう分配するかということで揉める原因になります。江戸時代の大相撲は、相撲会所と呼ばれる組織が取り仕切り、現在でいう理事長にあたる筆頭(ふでがしら)と呼ばれる親方がトップ。明治22年に組織改革があって東京大角力協会となり、筆頭は取締、組頭は検査役と役職名が変わりました。検査役というと現在の審判部のような意味合いにも取れますが、理事に当たるのでしょうか。名前が変わってもなかなか年寄主導の利益配分はなくならず、力士に不満がたまっていたのでしょう。一応力士の待遇も少しは良くなってきているようですが・・今回は交際費も多くかかる検査役だけに巡業中の月給を15円から18円にという、そう大規模な変更ではありませんが、力士側に何の相談も無かったとのことで小中村楼に閉じこもってしまいました。3年前のストライキ事件の舞台となった中村楼の別館でしょうか?閉じこもると言っても朝になれば部屋に戻って普通に稽古をしているのですが、誰かが仲介に走らなければ場所は到底開催できないといった様相です。どうなる事でしょう。
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2013年06月01日

明治32年夏場所番付発表 (朝日新聞/明治32.5.18)


○回向院大相撲の番付
・当五月場所の番付は、既記の如く昨日午前四時を以て発表となりたり。 ○角觝雑俎
・新番付中幕内力士に席順の昇降あるは皆自身の技倆によること勿論なるが、そのうちについて特に著しきは常陸山の前頭筆頭に進みたる事なり、また西の梅ノ谷は遂に関脇に進みたるが、大砲を凌ぐに至るも遠からざるべし、次にまた幕下より新たに入りたるは谷ノ川八剣鬼竜山の三人にして稲瀬川は幕下二枚に下降したるが、幕下にては著しき昇降なく、かえって三段目の鷲ヶ濱が二段目下より二十二枚に若返りたるあり、及び知恵ノ矢のますます下降したるは気の毒にて、養老金を得たらんには廃業するもよし。
大戸平は年寄尾車となり検査役を命ぜられ、鬼鹿毛高ノ戸は廃業したる由。
・大番付の編成について或る協会役員の語るところに依れば、従来は年二季回向院興行打上げののち直ちに両取締検査役協議のうえ成績を見て増給及び順席を定め、上梓の原稿を編して各地方へ出稼きに赴きたるが、斯くしては幕内力士及び幕下十枚は左右すべからず、其の以下のみ奨励のため地方巡業中特別の働きありしを見て席を直す事となり居りしが、自今は年二季興行の一二日前に取締役検査員の面々集会して確定する事になしたる由。
・昨年好角同志会なるもの起こりしも種々面白からぬ噂ありて入会する者少なかりしが、角觝協会にては今回特に同会員の観覧場を設け置き、満員客留めの節といえども同会員の徽章ある者に限り特別の便利を与えて斯道の隆盛を計らんと勉めたれば、会員は大いに便利を得べしとなり、今同会の要領を摘記せんに、入会金一円にて月々にて月々二十五銭を出せば年二季の大相撲及びその他の花相撲へ無代にて入場するの権あり、また一時金三十円を差し出せば名誉会員となり得て、爾後月掛を要せず其の収入金額は協会に保存して銀行へ預け、老功力土の廃業その他疾病に罹りし際、救助し又は養老金を与えて老後零落する者を扶助するの目的なりとぞ。

新番付が発表されました。なぜ昔も今もこんなに朝早い発表なのでしょうか(;・ω・)大砲はここ3場所で黒星を1つしか取っておらず、ついに大関昇進です。引き分けが多いのでそれほど好成績を挙げた印象はありませんが、ケタ違いの体格で相手を圧倒する相撲は大関の貫禄ありと判断されたのでしょうか。人気面でも申し分ありません。西の大関には鳳凰がいますが先場所は不振でしたので後釜を作っておこうという意図もあるかも知れません。いずれにしろ先輩大関を張出に押しのけての昇進となりました。先場所好成績の梅ノ谷は新関脇。新入幕で大暴れした常陸山は東方の三役に空席がなく前頭筆頭止まり。それでも記事にある通り、この1年で大躍進と言えるでしょう。記事によると番付は本場所が終わるとすぐに編成会議を開き、決定してから各自巡業などに出発し、次場所の開幕が近付いたら新番付として発表。この流れは現在もほとんど同じですが、一番違うのは幕下以下については巡業で頑張ったと認められた力士には多少の昇進があったということでしょうか。これからは本場所1〜2日前に確定させるようにしたとの事です。番付の印刷には間に合わないでしょうから、紙面では幕下三十枚目でも実際は二十枚目格というような事があったのでしょうか?さて大相撲ファンクラブ、年会費1円と月々25銭で本場所の優先入場や花相撲の無料招待があったようです。いいですね〜(・ω・)終身会員は30円。力士の治療費や退職金にあてるとのことで、良いアイデアだと思います。
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2013年05月20日

明治32年春場所千秋楽 (朝日新聞/明治32.1.20)


○回向院大相撲
・昨十九日(十日目)幕下力士が出世の関ヶ原とて好角家はかえって早朝より観物に赴き、相応の入りを占めたり。
照日山野州山は、苦なく突き出して野州の勝。
立嵐大戸川は、素首落としでの勝。
朝日龍八ツ若は、の二本に拘わらず首投げにての勝。
嵐山緑島は、右差しにて寄り切りの勝。
最上山朝日嶽は相四ツにて釣り合い、釣っての勝。
荒鷲小武蔵は、左相四ツにて釣れば小武足癖にて防ぎ、勝負付かずして引分。
玉ヶ崎は、勢い引落しとの左を取るや反対に引落されての負け。
錦山岩ノ森は、引落しての勝。
梅錦熊ヶ嶽は、左を取って一本に行きしが潰れての負け。
荒雲大嶽は、左四つにては内掛にて巻き倒さんとするを、切っ返しての勝。
栄鶴淀川は、の左筈を撓めて揉み合いの左差しにて挑みし時の横腹の腫物より出血して分となる。
宮ノ浦緑川は、右相四つにて挑み勝負付かずして引分。
鶴ノ音金山は、突き合い突き出しての勝。
鬼竜山は、出鼻をハタキたるが潜って抜けたるよりの腰砕けて負。
谷ノ川高見山は、左四ツにてアセッテ押詰めもたれて潰さんとせしよりはウッチャリて勝を占む。
・(中入後)梅ノ矢平岩の左差しをは引掛け投げを打ちたるより踏み切っての勝。
千田川磯千鳥は、のハタキを引き外し潜って左外枠に取って押し出しの勝。
駒勇尼ヶ崎は、のハタキ残しては右を差し捻っての勝。
橋立小西川は、の左差しを引掛け左に敵の右足を取り、渡し込んでの勝。
有明浪花崎は、突張って浪花の勝。
國見山成瀬川、右四ツ下手にての勝。
・(是より三役)鳴門龍高千穂は突き合い左差しの寄りにて鳴門の勝。
淡路洋利根川は、突き出しての勝は呆気なし。
松ノ風八剣は左四ツの釣りにて八剣の勝ち、弓取は霧島代理して目出たく千秋楽となりたり。

○力士にくまれ評
・十日間の大場所、観客の種類は官吏や商人や書生や職人や農夫や婦人もあれば子供もある、そのにくまれ口を手帳に書き留め置きたればここに少しく掲ぐる事としぬ、人として一の癖はあるものよ力士にもまた短所あり欠点あり、贔屓の人々怒り給いそ。
・山田君常陸山の力量は凄まじいもんぢゃね、立上がって左四ツとなって投を打ったで梅ノ谷の体が斜になったのを再び投を打って相手の体の浮いたのをそのまま寄って勝を占むるに至った技倆の如きは実に神出鬼没ちうても可ぢゃで、しかれどもぢゃ彼は近来大いに慢心しちょるね、軽敵にも土俵を譲って見せたり或いは何処からでも来いちうような風を示すのはいかにも小面憎く見えるぢゃないか、これが大関横綱の資格でもあれば格別ぢゃが彼常陸の如きはいまだ全く声望の相添わざる分際でもって生効きぢゃわい、君の意見は如何ぢゃ。
・やれやれどえらいもんぢゃにゃあかい、あれが梅ノ谷関や、我が村の鎮守様の仁王どんよりも大かんべいが人は外観によらにゃあもんだぞ、何故ちうと見い、あの関は相手の隙さあ見つけるとすぐに立上がって勝とうとするぢゃにゃあかい、あれがハア三役のお相撲に出来る事かい、アレ誰ぢゃ汝かいみかんの皮さあ我に投げつけたのは、効かぬぞ効かぬぞ茶枯者め。
・ちょいとあなた朝汐さんは卑怯です事ねえ、いつでも待ったを何回もして相手が怒って武者振りついてくると自分から負ける事があるんですよ、オヤオヤご覧なさいよ本年は余程直しましたねえ嬉しい。
・如何でげす横綱の小錦は例に依って例の如く小量でげすね、不侫は至極贔屓に致して居りやすがあの男の取口がな実にどうもこう軽率でげして一時に敵を倒そうと致しやすからいつでも不覚を取りやす、もう少し泰然自若と致しておりやせんと第一大関の貫目にも関係しやす、彼もな風の噂に聞きますると何とやら申す女部屋の養子とかに相なるそうで相撲道の熱心が薄らいだと申します、惜しいもんぢゃあげえせんか養子なぞは「ヨウシ」にしたらよいでしょうにス。
・へん可笑しく無愛嬌の力士ぢゃねえかい大砲だか電報だか知らねえが余り早過ぎて呆気なくって面白え事も何ともありゃあしねえ、立ち端に二本を突き出してよ取り組むとすぐに分けを待つのがちゃんと御面相に見えすいていやあがる、人をつッけ馬鹿馬鹿しいせめて二三度くらい仕掛けろよ関脇なら、もし言う事を聞かなけれりゃあこのお兄ィさんが承加しねえぞ野郎め。
・わたし海山が贔屓よ、あの人は土佐の江野口の生まれよ、元は大阪にいたのですが板垣伯に勧められて東京に来たのですとさ、好力士だけれどもねお酒が好きだから困るわ、今日も御覧なさいよ晴れの場だというに酩酊してるでしょう、ワインなんかを飲んで土俵へ出てはいけないのね、勝とうと思ったってイムポシブルよ。
大蛇潟玉ノ井に至っては僕は甚だその意を得んぞ、その場に入るや必ず待ったの十数回を行いよる、いやしくも人気の衰頽を挽回せんと欲せば須らくこの悪癖を除去すべしだチェストー!
小松山は高慢くさい顔をしてきっと四方を見回すがの、あれは宜しくない癖ぢゃの、貴公何と思う。
若湊にも悪い癖がありますね、もう叶わぬと思うと力を抜いてしまいますが負けるまで耐えていたらいかがなものでしょうか。
・お父さん僕は横車は嫌いさ、四ツ身になると相手の肩の上へ顎を載せてニコニコ笑うよ、何だか相手を軽蔑しているように見えるねえ、そのくせあんまり勝ちもしないよ。
・もしお隣席の御隠居さん、わたしはこの通り歯も抜けて本年七十になりますが高ノ戸のような妙な力士は御座いましぇんね、たとい正面では誰にも叶わぬしぇよ自分から跳ね出て負けるのは可笑しう御座いましゅねハハハ。
・吾輩は小説の材料にもと参考に来観したのである、力士両三名の批評を試みる事はあえて無益の業であるまいと思う、不知火は仕事は巧みだが立ちが悪い、また勝手が悪いとごまかして待ったをいうが幕の行いとしては不似合いである、谷ノ音は仕切り方は隨一だが敵に寄られて詰め間近くなると渡って防ぐ事は容易にせず自ら力を抜く事がある、幕下では八剣は怒りっぽい、谷ノ川はノンキ、松ノ風は壺口目バタキ、鶴ノ音はニヤニヤ笑う、國見山は遊び相撲、は上目を使う、一人も理想に合うは無いのである。
○好角同士会の相撲
・再三再四記載したる同会の興行相撲はいよいよ今日よりの前橋と及び横浜を打ち上げたるのち来月十日初日回向院に於て五日間興行する事となりたるが、未だ力士との交渉まちまちにて中には不平の連中もあれば、ことによると東西分離して西方が三日間取れば東方が二日間取るようになるやも知れずという。

千秋楽は十両以下だけの取組、こんな日でも相撲マニアは明日の花形力士を見つけるために続々と集まってきます。鬼竜山・八剣・高見山が勝ってそれぞれ7勝目。今場所は十両上位が揃って好成績のため誰が昇進できるか予測が難しいです。逆に幕内下位で大負けした稲瀬川・鬼鹿毛あたりは最近の傾向から十両陥落を覚悟しなければなりません。記事の方は、にくまれ評として色々な庶民が好き勝手に批評しています(;・ω・)当時の観客の様子が少し垣間見れて面白いです。最後の作家の人はずいぶん難癖をつけてくれていますが、もし双葉山がこの時代にいれば、理想の力士と言われたかも知れませんね。
明治32年春場所星取表
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2013年05月12日

明治32年春場所九日目 (朝日新聞/明治32.1.19)


○回向院大相撲
・昨日(九日目)の同相撲は好角家の希望する好取組多かりしかば午前十一時には早や客止めとなりたり。
國初小石崎は、左四つにて空き手は巻き合いやがて小石は出臀を伸ばし寄切って小石の勝ち。
磯千鳥鷲ヶ濱は、は右前袋を取るやはその手を撓めつつ寄っての勝は案外なりし。
立神梅ノ矢は、左四ツにて櫓に懸け立神土俵外へ置き去らる。
西郷千田川は、右を差し西は左に敵の首を巻き右に横ミツを取って掛けもたれに行くをは詰めにて耐え、かえって登りてもたれしより西は腰砕けて仰向きに倒る。
小緑浪花崎は、右四ツとなり又浪花二本差しとなり互いに釣り合いの一点にて双方取り疲れて引分はあまり感心せず。
霧島小西川は、突き合い小西の出鼻を払いての勝は見る間もなかりし。
岩戸川橋立は、は右に後ろミツを取るや廻ってすぐ左前袋を曳きて持ち出さんとするより、左を首に巻きて防ぎし甲斐なくそのまま持ち出されての負は跪りし。
利根川鳴瀬川は、右を差しはその手を巻き右を矢筈にかけて押切らんとするより、は殺して効かせず遂に取り疲れて引分。
淀川高千穂は、に突き出す左を引落しての勝は素早かりし。
尼ヶ崎國見山は幕下の好取組にて、は出鼻を手繰って一本背負を試みしがは右を深く差して効かせず右四ツになり、が釣っての負け。
荒雲鳴戸龍は、の右を撓め蹴返しての勝。
有明淡路洋は、有淡の二本差しを閂に絞り、押出しての勝は力いっぱい。
天ツ風金山は、天ツ敵の左を泉川に懸けて撓め出したり。
鬼竜山鬼鹿毛は、突き合い突っ張って鬼竜の勝ち。
頂キ八剣は、右四ツにて左上手後ろミツを取るやいな持ち出しての勝は大元気なり。
響升谷ノ川は、右四つに挑みちょっと左を外枠に渡して寄り倒しの勝は幕相撲の技倆あり。
大見崎玉ノ井は、大見突きて踏みきりて団扇の大見に上がりしが、の足未だ踏切らぬ先に団扇を上げしとて横車の苦情を言い出したるより各検査員協議の末預りとなる、星は大見崎
外ノ海横車は、の左を以ては巻きは突張りて土俵の中央に突っ立たるまま五寸も動かずあたかも寝ている如くなりしより水となり、のち釣りもたれてに団扇の上がりしが、はウッチャリしとて物言い付きて丸預かり。
北海海山は、の左の差し上手下手に取りの左筈をは防ぎて上手を効かせず水となり、のちから上手投を打ってみごとの勝は大相撲なりし。
黒岩大蛇潟は、左相四ツにて挑み釣り身に行きしが体を落として防ぐ一方にて水となり、のちより二度釣りを見せて引分はの独り働きなりし。
出来山谷ノ音は、立ち上り右を首に懸け例のかわずに行くを出来踏ん張り効かせずして廻り込みたればの体先に落ちて負けとなる、とかくはかわずにて仕損じること多し。
常陸山梅ノ谷は、両力士の一挙一動は満場観客の注目する所となり、一斉に鬨の声を上げ拍手音絶えざるうちに両力士は念入りに仕切り双方化粧立ち二三回にして立ち上り、左四ツとなり投げを打ちては体斜めになりしが廻り込んで耐えたるも再び投げを打ち、体の浮きしをそのまま寄っての勝は場中大喝采にて、衣服その他の纏頭にて土俵を埋めしうえ時事新報の化粧廻しは遂に同人の占むる所となりたり。
小錦大砲は、は右上手にミツを引き左を筈にかい、は右を巻き左は筈の二の腕を殺して捻らんとすれどは耐えて効かせず水となり、のち暫時揉み合い引分は大相撲なりし。

○好角同志会の相撲
・同会に於て大相撲を催す由は前号の紙上に掲げたるが、その場所は芝公園内旧弥生館構内の相撲場を以てせんとし目下奔走中なり、されば日限の程も未定なれど場所決定の上は東西両関ともに出場の筈なりという。

幕内最終日の九日目、梅・常陸の土付かず同士の大一番が組まれて満員です。新十両國見山は幕下尼ヶ崎を吊り出して5勝目。尼ヶ崎ものちに幕内へ上がってくる力士で、この取組も有望力士同士の対戦と目されていた様子です。入幕を狙う谷ノ川は響舛を渡し込むように寄り倒して7勝目。昇進がかなり有望になりました。響舛は元関脇の実力者ですが幕内下位に下がって7敗目、次場所は出場せず土俵を去ることになりますのでこれが本場所では最後の取組となりました。さて梅・常陸の大一番は投げから寄りを見せて常陸山が勝利、幕内最優秀成績で化粧廻しが贈られました。新入幕ながら前頭4枚目に据えられ、土付かずで初優勝を飾るという規格外の大力士ぶりです。横綱小錦は大砲と引き分け、今場所6勝したものの役力士との対戦でもう少し存在感を示したかったところです。
明治32年春場所星取表
posted by gans at 21:09| Comment(0) | 大相撲