2010年08月17日

明治31年春場所9日目 (朝日新聞/明治31.1.20)


○回向院大相撲
・昨十九日(九日目)は数日来初めての好天気とて北風の強かりしも観客はひしひし詰め掛け相応の大入なりし。
成瀬川荒鷲は寄り倒しての勝。
鬼龍山小西川の引張を預けて寄切りの負は耐える間なし。
淡路洋嶽ノ越は、の左筈をは巻き左をかって互いに揉み合いついに踏み越しての負。
磯千鳥鉞りは、左筈を互いに巻き合いやがて二本差しとなり暫し呼吸を計りの引投げ見事に決まりての勝は手際なりし。
谷ノ川境嶽は、立上りは一勢に押し切らんとして進むに、も耐え得ず土俵の際まで寄りしを押戻したる不意にはよけんと飛び去る体の軽きを突きての勝。
司天龍虎勇は、突き合い司天の砂が眼に入りし痛みに気を奪われて苦なく突き出さる。
岩戸川両國は、突き合いは素早く飛び込みの右足を取り投げんとせしに、は取られながらモジッて横にもたれ込みしゆえの腰砕けて団扇はに揚がりしが、同体に落ちしと物言いつきて平預かり。
金山嵐山は、押切っての勝は苦もなし。
大戸川松ノ風は、は侮りて敵に立ちを促したるよりたちまち突き出されての負は自業自得。
高千穂は、突き合い苦もなく突き出しの勝は是非なし。
常陸山鶴ヶ濱は、立ち端に張って気を挫きしもは感ぜずの左の差し手を泉川にかけ撓め出さんと寄るを、は満身に力を篭めて耐えしより面倒という風にて無理に東溜の土俵際にてネジリ出したるに、人々その力量に感じたり。
玉風一力は、の元気に一力の初めての出勤なれば勝負如何にと待つ間あらせず、二カ士は立上り一力の突きに一寸危うき所ありしが寄返して右四ツの左上手に三ツを取り合いて揉みしが勝負つかずして水となり、のち取疲れて引分け。
高見山稲瀬川は、突合いは左四ツに渡し右内掛けにて巻き倒さんとするもは必死と防ぎて効かず、間に廻り込まれ押切りての勝は危うかりし。
北海小天龍は休み。
増田川高浪は、の左差しをは巻き上手捻りを試みしもは体を寄せずかえって落とさんとするもまた効かず、再びの引落しをは付け入り押切らんと進む鼻を捻っての勝は面白し。
大纒唐辛は、立上りの左を取って一本背負に行くもは動かず上から押した力には腰砕け、九日間八日の負けにて引込んだり。
狭布里荒岩は、互いに技者とて一興あるべしとは案外にて、右四ツになるやは引きながら掬って見事の勝は一瞬間に観客呆然たり。
源氏山海山は、立上りは左四ツより合掌に仕替えは上手前袋を引きて揉合しも、解かれて相四ツとなりは釣って押出さんと二三歩足を運びたるをは体を落し右上手投げにての勝は大角力なりし。
小錦鳳凰は、立上りガップリ左四ツとなりは右上手に二重にミツを引き右上手を巻きて揉合い、一寸釣りを見せたれば寄らずもまたの為に充分に差されて仕掛けもならず只土俵の中央に仁王立となりたるまま水となり、のち双方とも仕掛けなく引分となりしは呼吸角カにて興なかりし。
・中入後、朝日嶽鳴門龍、釣って鳴門の勝。
御舟潟勝平は、御舟右を取り左は攻め合い揉み合い、何の妙手もなく引分。
岩木野鬼鹿毛は、右差しにて左は攻め合い右を入れるやは引落さんとすればは防ぎつつ左上手より前袋を探る隙を引かれしも堪え、双方押合いとなりついには釣ってもたれ込みての勝は大角力なりし。
千年川天津風右差しにて左を筈に当てしを天津は勝手悪ければもじって差し手を泉川にかけて押せば、は振って解くやすぐに一寸泉川を掛くればも引掛け捻り合い遂に千年は捻り出したり。
大見崎若島は、出鼻を早くも右にて敵の首を巻き登って右外掛けに行きしも、効かずして掛け倒れの負けは見栄えなし。

○角觝雑俎
・大番付を改良せんとの議ある由は既記を経しが、年寄中これに対して異議をさし挟む者多く、切角幕内へ登りたる力士をして直ちにまた幕下へ降す様なる次第にては東京の観客はともかくも地方の人気に障る事多く、自然営業上へ少なからぬ不都合をきたすべければ、当分のところ在来の方針に据え置き漸次改良に向かうよう有りたしと、いづれも哀願に及ぶを以て協会の役員等も情実に繋がれようやく改良励行の方針鈍りしものの如く、目下双方にて示談中。
・当場所における小錦の出来思わしからざるより、むしろ小錦を欄外横綱に落とし関脇朝汐を大関に登すべしとの呼び声多き様なるも、大関の位置は二場所負越しもしくは病気欠勤等の他みだりに貶黜せぬ規定なるゆえ、今回ただ一場だけの不成績を以て突然欄外に落とす事はあるまじく、もっとも朝汐に勝越しあらば止むを得ず小錦を欄外横綱大関に移すべけれど、目下における朝汐の成績にては未だ位置の異動を生ずる運びには至るまじとなり。 ○角觝雑俎(1.22)
・今回の大相撲にて全勝を得たる幕下力士は前号の星取表にて明らかなるが、なおこれを摘記すれば御代ノ松達ノ里小佐倉常陸山の四名なり。
・番付外よりようやく序のロヘ出世したる力士都合二十二名あれど、この内将来に望みを嘱すべきものは僅々四五名に過ぎずと、体格非凡なる人間は至って少なきものと見ゆ。
・次場所に幕内へ昇進の力士は玉風岩木野常陸山の三名なるべく、幕下ヘ滑り落ちるは一力唐辛小天龍等にて、なお改正番付に依ればこの他にも数名あるべしとなり。
・今回における大相撲の収支決算は定規の通り茶屋、桟敷屋よりこの五日間に総勘定を済ますに付き、それを待ちていよいよ精算を発表する事なるが、今概算に因るも一万四千円以上の純益なりとは大したもの。
・十日間の相撲中、九日目までは大入なるに引替え十日目は真正の観客甚だ少なく近所の無銭見物連をもって埋め、いたづらに一日間張合いなき興行をするは今の世に有るまじき旧弊主義につき、十日目を両大関の顔合せに振替えなば九日目も活き、かつ十日目も相応の観客あるべきにと評する者多きは無理ならぬ事ぞかし。

先場所から番付に名前が無かった一力、なぜかこの最終日になっていきなり番付外で出場してきました。場所前の記事などを丹念に探せば何か情報があるかも知れませんが・・一説には収監されていたともいいます。ともあれ引き分け、ブランクの割には相撲を取れる体を保っているようです。大関鳳凰は小錦との大一番に引き分けて土付かずを守り、幕内最高成績を収めました。地味ながらも堅実で取りこぼしの少ない取り口が実を結びました。中入り後にも面白そうな取組があるのですが紙面の都合で読むことが出来ず、残念です。新聞原紙ならば欄外に印刷されているので読むことが出来るのですが、縮刷版では欄外の記事はカットされています。さて今場所は非常に好景気だったようで何よりです。翌日は千秋楽、江戸時代から十両以下の力士しか出場しないことになっていますが、そろそろ改善を求める声も出ています。大関だけでなく幕内全員出場してほしいところですが、この希望は42年の国技館完成までお預けとなっていきます。
明治31年春場所星取表
西大関・鳳凰馬五郎
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2010年08月03日

明治31年春場所8日目 (朝日新聞/明治31.1.16)


○回向院大相撲
・昨十五日(八日目)は薮入の第一日とて朝来天気模様のすぐれざりしにも拘わらず、相撲好の貴顕紳士を始め当日主人より暇を得たる店向きの奉公人等続々見物あり、場所は客留めの好景気をあらわしたり。
最上山利根川は、突き合い突出しての勝は一手勝負。
鶴ノ音大戸川は、の右四ツに大戸不勝手となり暫し揉合い、のもたれ込みにて同体に流れ、物言い付きて預り。
御舟潟浪花崎は、御舟左四ツにての寄り来るを後ずさりして引落したり。
滝嵐熊ヶ嶽は、の右差しをは片閂にかけ撓めんとせしが、はよく防ぐより更に右矢筈に仕替えて押出したり。
勝平鳴門龍は、下に飛び込んで来る鼻をの右差しにて寄り、はすかさず下手投げを打ちたるもは残して、すぐに右上手より後ろ太股を取って投げ出したり。
唐辛北海は、突き合いは右をさして振り出さんとする途端、は逆に下手無双を切って勝は手柄なり。
若島黒岩は、左四ツにてより投げを打てばも打ち返しツツ防ぎしが、は満身の力を出し上手投げにて見事勝を占む。
鬼鹿毛千年川は、千年の右差しをは巻きてチョイ掛けに行きしがは体を延して効かず、再び解れて攻め合いは左四ツとなり後ろミツを取て寄らんとする鼻をは捻って団扇を取りしが、の体先に落ちしと物言い付きて丸預り。
不知火越ヶ嶽は、気合わせずして立ち方鈍く、ようやく立つか否左四ツにて右は殺し合い、不知は右前袋を引き一寸蹴返しを見せたれど効かず、その間には左にて持出し不知のからみも効なくして負。
鬼ヶ谷外ノ海は、は突き出しはハタキ、更により突掛ける出先をは外して透かしたればは泳ぐはハタキて勝ちを得たり。
小松山大見崎は、小松の左を手繰り込みて撓めんとすればは任せて寄り来りしため、投も打てずアワヤ寄切らんとする一刹那、小松は寄り返して突き出したるは危うき角力にてありたり。
谷ノ音大蛇潟は、の右差しを泉川にかけて押し出さんとせしが、敵は大兵よく支えて動かず、も仕替えて左を入れ右を敵の首に巻き右の外掛にて巻き倒さんとすれど効かず、の踏張り解けるやの体軽くなりもたれ込まれて負は大失敗。
大戸平大碇は、大戸の立ち後れをすかさずは突きて諸筈にて押し来る、大戸土俵の詰にて耐え、押し返して右四ツとなり釣り合い、ついに大戸は釣りて勝となる。
梅ノ谷逆鉾は、当日一位を占むる好取組なれば両力士は喝采に迎えられて登場し悠々仕切りて立ち上るや、の出鼻をは内無双を切って見事の勝は大喝采なりし、この勝負は一勢に押し切らんと焦りしが過ちにて、今少し躊躇せば面白き角力にてあるべきを残念な事したり。
鳳凰狭布里は、立ち上り蹴手繰りに行くもは避けて効かず、そのうち突き手烈しく耐えずして突出されしは是非もなし。
・中入後、常陸山岩木野は、左四ツにて挑みしがの左差しにて寄り倒したり。
鶴ヶ濱玉風は幕下の両大関、二ツずつ疵にて劣らぬ力士なるもの突きに耐え得ず突き出されての負。

○角觝雑俎
・角觝年寄にて木戸部長を勤め居りし粂川新右衛門は、昨年の五月中本所区緑町二丁目なる自宅より過って火を出せし際、本人病中のため大火傷を負い種々治療せし後ようやく快復せしも肺炎症を発し久しく病臥し居りたるが、去る十五日午後九時頃ついに死去し昨日その葬式を執行せしにつき年寄及び東西幕の内力士等多く会葬し協会よりは香典として金百円贈付せり。
・東西三役の力士皆勤者ヘは、これまで打上げ後相当の賞金を贈与する事なりしが、わけて今回の興行は収入非常なる故これを一層拡張し幕内及び幕下十両まで皆勤者へそれぞれ応分の奨励金を贈るという。
・昨年は御大喪期と地方水害等のためいづれの地方にても角觝を買い入れる者なく角觝自ら興行し廻りしゆえ、ことごとく失敗を来たし、果ては糊口にすら差し支える組も出来し程なりしも、本年はこれに反しすでに各地方より約定を申し込み来たる向き多く来たる、五月までには廻り切れぬ程の好景気なれば各組とも勢い甚だよく当場所打ち上げの日を待ち構え居るとなり。 

7連敗中の唐辛は初勝利、全敗を脱しました。外ノ海は下位ながら5勝目、土付かずを続けており動きも良いようです。大戸平と大碇は元大関対決、今場所の調子が示す通り大戸平が吊り出しの勝利でした。梅ノ谷は若さが出て巧者逆鉾に敗れました。注文相撲ですが、立合いに内無双とは見事なものです。十両の土俵では相変わらず幕下筆頭の常陸山が大暴れですが、岩木野・鶴ヶ濱・玉風も悪くない成績で入幕目前となってきました。
明治31年春場所星取表
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