2006年07月21日

明治15年夏場所初日 (東京横濱毎日新聞/明治15.5.30)


・昨日回向院初日の相撲は折り悪しき早朝よりの曇天にて観客およそ七百人。
・中入前、西ノ海忍川西ノ海の勝。浦湊高千穂高千穂の勝。緋縅荒飛緋縅の勝。
千勝森上ヶ汐は互いに念入りて立上り等しく手と手にて渡り合いしが、上ヶ汐千勝森を「ケタグリ」て勝を得んと二三度試みしに、あいにく外れて十分ならず、双方中央に立ちて勝負果てしのなかりしかば、ついに水となり再度取組たるも兎角思わしからずして引分となりぬ。
武蔵潟九紋竜は立上るや三ツ四ツ刎ね合い、武蔵潟は両手を腋に差し力にまかせ押し行きしに、九紋竜タジタジと後ずさりしてあわや踏切らんず有様に、一生懸命ここぞ大事と力を直し押し返せしに、幸いにも二足ほど回復せしを、武蔵潟は仕損じたりと手を替えて引張り込まんと左手を伸ばすを、得たりと九紋竜は其の手を抱い込みショイ投げせんと左へ振りしに、武蔵潟の体左に流れて見事に九紋竜の勝となりたり。
井筒手柄山は念入れて立上り、或いは「突張り」或いは「ハジキ」て居たりしが、ついに井筒手柄山をかぶりながら押されて今にも踏切らんとせしを、辛く止まりて土俵中央に押返し、手をほどきて突張り合ううち井筒は引ッ張り込まんとする手柄山の手を取り、引手を試みしに十分掛かりて手柄山の体は前に流れ両手を砂につきて見事に井筒の勝。
常陸山鞆ノ平は立上るや否や二ツ三ツ刎ね合ううち常陸山は「ハタキ」込まれて鞆ノ平の勝。
楯山(若島改)島田川はなんなく押出して楯山の勝となりしは、さもあるべし。
・中入後、大達立田野は立上ると間もなく、立田野大達に押されて土俵際に至りしがここにて暫時踏み止り二足三足押返すよと見えたるが、今度は大達の「釣り」にかかり土俵を出されて大達の勝。
出来山和田森出来山の勝。長山関ノ戸関ノ戸の勝。
千羽ヶ嶽小武蔵は余程念入れて立上り二ツ三ツ突張り合い、小武蔵は下手、千羽ヶ嶽は上手となりて暫時揉合いしが、やがて千羽ヶ嶽小武蔵を「釣上ゲ」土俵際まで持って行きしにぞ、小武蔵は一心不乱に此の場を逃れんと釣られながら無二無三に暴れしに、幸い小武蔵の足地につく途端小武蔵は力を極めて押返し、隙を狙って千羽ヶ嶽の体を抱き土俵外へ持ち出し勝を得たりしは実に勇ましき勝負にて、やんやの声暫時は鳴りも止まざりしと。
高見山浦風は、最初高見山よりあせり込みて仕掛けたるを、浦風はいらちたるものか立上ると等しく高見山の頬を二三度力にまかせて張手を用いたり、又は突張ったりして暫時揉み合ううち高見山が引張り込まんと差し出したる左を浦風は右手に取り、左手を相手の左腋へ差し入れ「逆車」をもって投出しついに浦風の勝。大鳴門(司天龍改)稲ノ花大鳴門の勝。梅ヶ谷達ヶ関達ヶ関踏切りて梅ヶ谷の勝。

大関若島は二枚鑑札で楯山(たてやま)となりました。改名すると急に老け込んだような印象を受けます・・・当時の人達はどう思っていたでしょうか。司天龍(してんりゅう)は大鳴門(おおなると)と改名。こちらは二枚鑑札ではありません。現在、大鳴戸という年寄名跡がありますがこれは大阪相撲由来のもので当時の東京相撲には無く、大鳴門は単なる四股名でした。新関脇の鞆ノ平は勝ちましたが、他の上位陣に次々と土がつき、波乱の初日です。
明治15年夏場所星取表
posted by gans at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 大相撲
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