2013年05月07日

明治32年春場所八日目 (朝日新聞/明治32.1.17)


○回向院大相撲
・昨十六日(八日目)は午前十時頃すでに客止めとなり、花道はもちろん力士溜りさえ観客割り込みて実に寸地を余さず、足を踏み頭を越えて通行する程の雑踏にてありし。
嵐山大戸川は、左を差して寄り切りの勝。
綾渡小武蔵は、左四ツにて互いに右足を取りて釣り倒さんとクルクル廻って遂に小武の勝を占めたるは毎度面白き相撲にてありし。
栄鶴緑島は、の右差しをは上手に巻き、空き手は殺し合いの出し投げを危うく残し寄る鼻を捨て身にての勝は見事なりし。
朝日龍岩ノ森は、突き出しでの勝は呆気なし。
荒鷲八ツ若は、左を差して寄るを頭捻りにての勝は当然。
立花玉ヶ崎は、左を差して寄りは支うる力なく負。
最上山大嶽は、左相四ツにて足癖を試みしが伸びて効かせず、遂に寄り倒して最上の勝。
照日山熊ヶ嶽は、の左差し右筈にかえばは右を絞りて左をのど輪に当て押切ての勝は力づく。
野州山緑川は、二本を差しは上手二本に横ミツを取って挑み、釣り身に行くを振っての勝は面白し。
鶴ノ音錦山は、左四ツにて寄り切りの勝も呆気なし。
朝日嶽御阪山は、は左を差しは左を筈にかい右を巻きは上手を打ち、残されてまた出し投げを打ちしが、朝日は辛く残しすぐに釣っての勝は見栄えありし。
高見山稲瀬川は、敵の左を取って泉川に懸け一斉に押し切らんとすれば、は踏張って耐える余地なく腰砕けての勝ち、これにても入幕の回復も出来しならん。
當り矢増田川は、烈しく突き合い二本を突き込み寄り倒しての勝。
松ヶ関八剣は、右相四ツにて水となり、のち取り疲れて引分。
小松山千年川は、小松右を差し寄るを渡って残し、右を突き込み相四ツとなりて暫時挑み、より寄り身に行く出鼻を捻って小松の勝はこれ迄の出来なり。
高ノ戸越ヶ嶽は、の右二の腕を支えて防ぎ左は筈にかって受け身となりしが、はそのまま押し切らんとする勢いの烈しければ、外さんと逃げ身に飛び去り自ら跳ね出でての負けは毎度ある失敗、少しく慎むべし。
狭布里稲川は、右四ツにて挑み差し手を抜き右筈にて押切らんと体を引く途端に寄り返したれば再び右を強く突き込みしが、ここに隙ありては右外掛けにもたれての勝ち。
不知火若湊は、待った数回にて例のドッコイと立ち上り、行司の団扇を上げるやいな一突きに突出してドンと言えば不知は未だ立たずと主張せしより紛議起こり、各検査員総立ちとなりて東西へ交渉の末無勝負に落着したり、詳解せば病気休み同様星取に算入せざるなり。
谷ノ音源氏山突き手を撓めんとするもは払ってすぐ左より右四つとなりより右上手を打ちしが、踏張って効かせず、またより上手を打って足癖にて防ぎつつ同体に落ちしが、より仕掛たる角力なれば団扇はに上りたるが物言い付きて預り。
鬼ヶ谷逆鉾は、の左を手繰ればは預けて突き出しての勝ち。
大砲朝汐は、は左を差し左は敵の差し手を防ぎて揉み、のちは猿臂を伸ばして左を差し右前袋を取らんとするもは引き外して攻め合い水となり、のち暫時挑みしが勝負付かずして引分は大相撲なりし。
・中入後、鬼竜山金山は、突き合いの左を引張りは耐えて廻る途端、腰砕けて尻もちを突く。
谷ノ川天ツ風は、左四ツにて挑み釣り身にて寄るを天ツ詰めを渡って危うく残したるも、浮き身にて体の据わらざればたちまち寄られの勝ち。

引き続き大入りの八日目です。幕下の綾渡vs小武蔵はお互いに足を取り合ってクルクル回るという珍相撲、力士の体格が肥満していなかった時代ならではです。不知火vs若湊は、立合いが成立したかどうかで揉めてしまいました、仮に不成立であれば取組が始まっていないことになるので預かりという裁定にもならず、結局取組そのものが無かったことにされてしまいました(;・ω・)両者とも土俵に上がっているのに「や」となってしまった珍しいケースです。逆鉾は速い攻めで6勝目、体重80kgほどの小兵ながら関脇として堂々たる成績を残しています。
明治32年春場所星取表
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2013年05月01日

明治32年春場所七日目 (朝日新聞/明治32.1.16)


○回向院大相撲
・昨日(七日目)は日曜日と藪入日のかちあいし事とて各桟敷朝のうちに売切れとなり九時頃には客止めの好景気なりし。
平岩國見山は、出鼻を突くと見せの右を繰って一本背負に行きしが、は上から左の猿臂を伸ばし後ろ縦ミツを取て釣り上げんとするからは仕損じたりと体をかわして相四ツとなりて防ぎしを、は無造作に釣って持ち出したり。
淀川小西川は、左四ツにて平押しに寄り小西は押詰められしも、ここを先途と耐えしよりはもたれ込んで勝ちしと思いの外か、自分に踏越しあって小西の勝には落胆せり。
鳴門龍浪花崎は、の突き一点張りに始終受け身となりて遂に土俵を割る。
荒雲淡路洋は、の突掛けをは受けながらはたき込まんとすればの僥倖は頭髪なく滑らかなるより自然と残りてすぐ突き出しての勝は大出来なり。
金山有明は、は二本を差しは上手ミツを取って挑む間もなく、は右の差し手を脱し巻き倒しての勝。
高見山嶽ノ越は、の左を引張り込み外掛けにてもたれ込んでの勝、ちなみに記すは先年横浜興行の際頂キと角力いて左踵の関節を脱したるが、昨日もまた脱して立つこと能わず、人に助けられて引込みたりと。
天ツ風高ノ戸は、左を泉川に懸けられ一心に解きしが、又々懸けられ勝手悪しと振り解きて逃げんとするを、天ツすかさず送り出して勝を占む。
頂キ谷ノ川は、左四つにて挑みしが頂キは左の差し手を抜き替え釣らんと一寸体を落す途端、は浴びせたるためは腰砕けて同人に似合わぬ負を取れり。
響升鬼竜山は、の突きと出足の進むには身受となり土俵少なになってようやく突き返したるが、再びの突きにの体は飛び出したり。
大見崎小松山は、突き合い手四つとなり大見突き込んで小松の浮き身を右の手に払いしため小松は尻もちを突きたるは笑止なりし。
外ノ海當り矢は、激しく突き合い受け身にて逃げ廻り、早や土俵も余地なきよりは廻り込み差し手を突き込みもたれ込んでの勝は大出来なりし。
北海大蛇潟は、右四つにて空き手は巻き合い、より下手を打ちしがは残して上手に打ち返しの勝は機に応じたり。
常陸山不知火は、不知は潜って右に前袋を引き左を筈にかって押し切らんとすれば、は左を撓めて振り落とさんとするも、不知はよく防ぐより面倒と蹴落さんとすれば不知は体を伸ばして効かせず、また振り倒さんとするうち不知の撓められし腕は青ざめ来りしより水となり、のちしばし呼吸を考えは首投げを打ちたるが不知は踏ん張りしよりは左を引掛け捻り出しての勝なるが、不知はなかなかよく角力いたり。
出来山海山は、出来二本を差しは左を巻き右は上手より巻きて筈にかい、の首投げ出来の下手投げ共に決まらず水となり、のち取疲れて引分は出来分けを待ちしが如し。
梅ノ谷朝汐は、好取組の事とて場中は割るるばかりどよめき渡りけるうちに両力士はスゲなく立ち合い、手先の競り合いより左四ツとなり、右前袋を取って二度右上手を打ちしため実に危うかりしが、廻り込んで辛くも寄り返せばは必死となりて又寄りて右上手を打ちしよりまたまた危うかりしが、遂にもたれて勝ちを占めたるは当日第一の大相撲にて場中暫時は鳴りも止まざりし、この勝負にてが働きは非常なるものにて敗は取りたるも大関の真価は落さずと人々言い合えり。
小錦鬼ヶ谷は、突き出しての勝は角力にならず。
・中入後、八剣は、左を差して寄るをは詰めにてウッチャリの勝は上出来なりし。

○大場所打揚げ後の東西力士
・目下回向院にて興行中の東西力士は、同所打揚げ後合併にて上州前橋に赴き同地にて五日間興行して帰京し、再び回向院に於て二日間好角同志会の相撲を興行し、それより横浜に於て合併大相撲を催し、それより既記の如く各組分かれ分かれになりて地方へ赴く由なるが、近来各県とも米価下落と地租増徴にて景気悪しければ、力士を買い込みて興行する者少なかるべしという。

大入り満員の七日目。淡路洋という力士はずっと十両にあってこれと言った得意技などは無いようですが、頭髪が薄いことではたかれにくいという利点があるようです(;・ω・)嶽ノ越はカカトというか足首でしょうか、脱臼癖がついてしまったようで負傷、翌日から休場となってしまいます。入幕を目指して好調だっただけに悔やまれます。不知火は常陸山戦で非常によく粘りましたが勝機を掴むには至りませんでした。常陸山土つかず。梅ノ谷vs朝汐も双方土つかずの大一番、朝汐が攻めて行きましたが若い梅ノ谷が体格を生かして勝利。敗れた朝汐も大関らしい立派な相撲内容でした。
明治32年春場所星取表
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2013年03月02日

明治32年春場所六日目 (朝日新聞/明治32.1.15)


○回向院大相撲
・昨日(六日目)は雨後の泥濘を事ともせず早朝より詰め掛けたる観客多く、各桟敷土間とも満員となれり。
照日山立嵐は、左四つにて挑みしが突出しての勝。
梅錦宮ノ浦は、例の負い投げに行きしをは大兵ゆえ押し潰しての勝、もしの決まりならんには喝采を得べかりしに。
小櫻野州山は、右四ツにて左上手を取るや渡し込んでの勝は中々の元気。
甲岩大戸川は、は相四ツの釣りにての勝、大戸常の力量にも似ず脆かりしは前日の休みに甚句踊りの過ぎたる疲れなるべし。
朝日龍嵐山は、突き合いは左を深く差しの左筈に右を殺して寄るを、腰投げを打ちて見事の勝ち。
最上山緑嶋は左四ツに右上手を引き、釣っての勝ち。
荒鷲岩ノ森は幕下の好取組、の左差し上手下手に組み空き手は殺して挑み、寄って危かりしが寄り返して上手すかし決まっての勝は面白かりし。
中ノ川玉ヶ崎は左四ツにて投げの打合い、互いに残して寄倒さんとするを足癖にて防ぎしが、遂に寄り倒しての勝は大相撲なりし。
有明大嶽は、左を差して寄るをは足癖にて巻き倒さんとするを、浴びせての勝は大兵の徳なり。
綾渡熊ヶ嶽は、右四ツにて上手投を打ちて危うかりしが、残して下手に体を引き左内枠にて渡し込みの勝は上出来なりし。
小武蔵緑川は、立上りすぐの左を取って負い投げに行きしが、は右上手に後ろミツを取って防ぐを、小武は襷反りにて見事の勝を占めたり。
鶴ノ音栄鶴は、突張っての勝は呆気なし。
鬼竜山朝日嶽は、突き合い引落しての勝は相撲にならず、のかく失敗を取りしは仔細のあるらし。
御阪山錦山は左四ツの巻き合い、首投げを試みるも体を落して効かせず押し合いにて水となり、のち取り疲れて引分は病後初めての出勤にてはよく耐えたり。
稲瀬川は、激しく突合い強いての浮き身を突き入りての勝は苦もなかりし。
鶴ヶ濱谷ノ川は、は左を差しは左を筈に右を巻きての寄り身を防ぎしが、土俵少なになりて耐ゆる余地なく踏み切っての勝にて、の全勝もここに至って煙となれり。
八剣増田川は、右四ツになるやは一斉に寄り進むにも土俵の詰にて受け耐えしが、は素早く釣っての勝は大出来なりし。
高ノ戸千年川は、立ち合い諸手を殺し合い押し切らんとすれば廻ってよく防ぎつつ足を取りに行くを、の小手投げ決まりて勝を占む。
玉ノ井越ヶ嶽は、の左差しをは巻き左は攻め合い寄って小手投げを打ちてに団扇の上りしが、は同体に落ちしと物言い付きて預りとなり星は五分五分。
狭布里大見崎は、右四ツにて一寸足癖を見せしが大見は差し手を深く差して寄り切りの勝は咄嗟の間なりし。
横車黒岩は、相四ツにて無造作に釣出しの勝ち。
鬼ヶ谷若湊は突きの一点にての鉄砲見事に決まりての勝は、の突き手も緩みたり。
梅ノ谷源氏山は観客を呼びし好取組なれば両力士の呼び声高く、いづれも負けじと念入に仕切りて立ち上り、は左を差し右はの左を殺し、は下手を打ちしがの踏張りに効かずして競り合い、は押し切らんとするもは耐えて寄り返し、は左前袋を引きは右筈になりしも解れて左四ツとなりて揉み合い、水となりのちより投げを試みるも動ぜず、は押切らんとするもよく防ぎて勝負付かずして引分は大相撲にて、観客も手に汗を握らしめたり。
谷ノ音小錦は待ったなしの立ち上りにて、はすぐ二本を差し櫓にかけて持ち出したるに、も余りの事と思いけん莞爾莞爾笑いて引込みたり。
・中入後、國見山天ツ風は、天ツ國見の左を泉川に掛けしが、解かれて左四ツより相四ツとなりて挑みしが勝負決せず水となり、のち取り疲れて引分は見栄えありし。

○東西力士えりぬき評
・さて今日は西の方の鳳凰だが、人気の落ちないのはあの男の一徳だね、誰も知っている通り技倆というものは甚だ乏しい質で全く力量のみで大関の位置を占めているのだ、技倆は勉強次第でどこまでも進むものだが力量は年と共にしぼむ時節の来るものだ、しかもあの男は目下が満開であるから久しく大関の位置に座っていることは出来まいよ、これというのも地面や貸し長家で寝ていて喰えるという胸算用があってその気緩みの故であろうと悪口をいう者もあった。
大砲はなおこれという新技倆は見えないが力量は十分備わっているし体はあの通りどえらいし、従って手は長し相手が懐に入って前袋を引こうとすれば無造作にその後みつを取り、二本差しにすればたちまち閂に絞り、足を狙えば力ではたくから相手になった者は大きな損だ、分けを取るくらいが大出来だろう。
梅ノ谷の技倆はまだまだ荒岩源氏山には及ぶまいが、力量というは実に実に凄まじく進歩した、一たびウンと踏張ったらそれこそ大盤石千曳の岩だ、いかなる大敵も動かすことが出来なかろう、だからあの男の突き出す鉄砲を受け得る者は敵方に二三人しかあるまい、常陸とあの男と四つ身になったらどうだろう、まづ引き分けだろうね。
谷ノ音は得意の足癖が効かぬことを悟って近来は臨機応変の妙手を出すなかなかぬけめの無い奴だ、体格もおいよに関係してた時分より肥えたようだよアハハハ。
鬼ヶ谷は鉄砲に妙を得ているが寄る年波で弱くなったね、しかしなお見所が無いでもないが抱主の蜂須賀侯が来観せられる時は何だか固くなって平生に劣るのは可笑しいな、海山の小手投げ合掌ひねりといえば随分評判のお得意であったが一時はいささか鈍ったようであった、全く酒色にふけったからであろうが本年はやや回復の形が見える、横車は相変らず吊り一点張だ、今少しく修練したら大に昇進する目途があるのだけれども惜しい男だよ、腰自慢の狭布里この頃は大分使うそうだね証拠が顕然と見えるから恐ろしいもんだ、玉ノ井の戸長先生土俵で手叩きやら唾やら汚い真似をする男ぢゃないかい、しかし体格の良いのは得なもので不慮の勝を制する事がある、大蛇潟は両三年前に比べると力量も減じてきたし気息も長くは続かぬようだが、まだまだどこともなくしっかりしたところが見えるから嬉しい、小松山横車と同じで吊りの一方、一時とは技倆が落ちたように思われる、今の位置で居座りなら結構さ、松ヶ関は前途有望の力士だよ初日に小錦に勝ったのをヤレまぐれ当たりだの僥倖だの怪我だのと冷評する者もあったが、ともかくも一種侮りがたい技倆を持っていることは事実だ、前場所には悩み揚げ句でやむを得なかったが本年は精一杯やって見ろ見ろ慢心をせずにな、大勇猛心を振り起したもんなら随分望みのある質だぞ、當り矢は頭の塩梅と年齢とは全く正反対まだまだ血気満々なところがあるから有難い、いつも出足が早過ぎるので不覚は取るがこの社会の愛嬌者だ。
不知火の技倆は一寸見所がある、但したとえ自宅に紛紜があるからといって二度も三度も興行先から戻るのはよしてくれ、鶴ヶ濱は入幕の当時と大違い、勉強しろよ、鬼鹿毛例の十八番の首投もモウ効かぬ、年寄株でも買うのだろう。
・病気やら何やらで遂に欠勤した荒岩とそれから高ノ戸ね、この両人は折々行司を泣かせるほどの妙手を有しているが仕損じては埒もない。
・さてまた幕下では鬼竜山だ、十分幕内へ入るべき翼が備っている、松ノ風も次第に回復の姿が見える、得意の吊りの他に投げも巧手になった、嶽ノ越も幕下では屈指の好力士だ、よく忍耐して勝を占めることの多いは感心、淡路洋の得手はその石頭を敵の胸板にドンとぶつけて鋭気をひしぐにあるようだが他には別に特点を見出し得ぬ、鶴ノ音鳴門龍は力量一方、國見山は当時売り出しの好力士だが力量に伴うだけの技倆はない、専念一向に勉強が肝腎だ、鳴瀬川は体格は申し分ないが技倆において申し分ありだ、荒雲は病気が全快せぬと見えていかにも血色が宜しくない、養生しろよ。

雨が上がり六日目、かなりの客入りのようです。大関鳳凰は3連敗を喫して休場してしまいました。この場所の幕内力士は、引退した大戸平と初日から全休の荒岩以外ではこの鳳凰ただ一人が途中休場で、あとは全員皆勤という優秀さで、これだけの皆勤率はなかなか珍しいです。観客が多ければ力士も嬉しいでしょうし、相撲協会が利益を上げていればボーナスの望みもあるのでやる気になっているのかも知れません。取組の方、鬼ヶ谷に若湊は双方突き押しの相撲、鬼ヶ谷も明治20年から幕内にいるという古い力士で43歳。最近若々しい相撲を見せている若湊に敗れてしまいましたが少し衰えが見えているのでしょうか。梅ノ谷vs源氏山は土付かずの小結同士という好取組ですが引き分け。双方の攻防が見ごたえあり、なかなかの熱戦でした。記事は爺さんの力士評、後半が載りました。鳳凰は不動産の副業ですか(;・ω・)玉ノ井は土俵でツバとか(;・ω・)狭布里はこの頃は大分「費う」という原文で「つかう」とルビが振ってあります。この時代の力士は酒色などの遊びで身を持ち崩すケースが目立ちますが、狭布里もここ数場所は負けが込んでいますのでそういう事を指しているのでしょう。
明治32年春場所星取表
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2013年02月24日

雨天順延 (朝日新聞/明治32.1.14)


○回向院大相撲
・昨日六日目の同相撲は雨天のため休場したるが、午後晴天となりしゆえ本日は太鼓を廻さずに開場するという。 ○東西力士えりぬき評
・猛虎怒慵して天も地も震駭しつベき両国回向院大場所の壮観は連日の紙上に載せ来れる如く、すでに五日目まで取り進みたるが今ここに某好角翁が公正明平の眼をもって東西力士中の主なる者を批評したるを掲げん。
・まず今日は東の方横綱の小錦から棚卸しを始めようかい、初日の負け具合では如何かと案じていたが二日目から五日目までは無難であった、但し技倆は突きの一点で例の寄り投げや蹴返しを毫も用いぬのは何となく贔屓連をあきたらず歯がゆく思わせたよ。
・それから朝汐だて彼は評するまでもない名力士だね、技倆はますます進んだがやや力量が落ちたかと思われる、逆鉾は一時ちょいと腰折れの気味も見えたが今では持ち返して腰も強く腕の突張りはなかなかえらいもんだ、源氏山は技倆は確かだけれど気性が怯くなったよ、もっとも自重しているといえばそれまでだけれど多く自分から仕掛けないで受身になる事が多くなったようだ。
大纒出来山かね、平々凡々評する事もない、当分は前頭四五枚を上下するのさ、黒岩は四つ身になると敵なしだが相手の突掛けの強いときはいつも敗北を取る、この突掛けを防ぐ工夫さえ凝らせば上々の力士といってよかろう、若湊は昔に返り咲きしたね技倆が老練で面白い力士だ、常陸山は当時日の出の勢い、かれこれ言うだけが管だろう、この分で推して行けば将来の横綱は誰彼と問うに及ばぬ、かの男と決まっている。
北海外ノ海大見崎は一軒の家でいえば道具だ、何も言う事はないが必要品と言って宜しい、越ヶ嶽響舛千歳川は東方の老功で技倆を言うよりもむしろ劇評流に「よく勤めているが評すベき程の事なし」だ。
増田川稲川稲瀬川は幕下当時の勢いに比ベるとやや劣ったかと思われる気味もあるが、力量はまだまだ進む、油断さえしなければ進境を見よう、頂キは妙な力士だ、シンネリ強く随分勁敵を苦しませる事もあってその一種特別の技倆は大に人を感心せしむるに足るよ、次は天津風だ、きゃつ酒ばかりあおると見えて如何やら中風の相を現して来た、幕下二三枚目に落ちること必定さ。
・さてまた東の幕下では高見山谷ノ川は技倆が進み八剣の力量が増したのには驚くよ、金山緑川はまづ上の居すわりに加え利根川の持ち返し淀川の返り咲きあるに反し、熊ヶ嶽の大根がある、ようやく知恵ノ矢鷲ヶ濱の部類に入るだろう。 ○角觝雑俎
・回向院の当大場所は近年稀なる上景気にて、各力士の意気組みも別項の評中に記せる如くすこぶる盛んなるが、ここに毎年大相撲の興行に伴いて何かの苦情湧き出づる事ほとんど例となり、来り本年もまた三日目の夜に至りて一の同盟起こり西方幕内力士及び幕下十枚の関取連は突然出勤を断わるとの相談をなし、先づ角觝協会へ向って内々にこの相談を通ぜしめたる所、協会の驚き一方ならず役員二名は直ちに西方の部屋に至りその理由をただしたるに、鳳凰大蛇潟小松山等の面々は決心の色を示し口を揃えて曰く、当今の如く相撲は非常の全盛に赴き、毎興行の利益莫大なるにも拘らず我々力士に対しては真に僅少の増給を与え賞与とても東西三役の欠勤なき時に渡さるるのみ、その他は一文の配当もなくして皆懐手の年寄連に吸収せられ、力士は一生懸命働くばかり、実に馬鹿馬鹿しければ本年の如き大入りの際は無欠勤の力士に相応の利益配当ありて然るべしと考うれば、協会においても充分に我等の境界を察しこの事許諾ありたし、しからざればやむなく決心せん、と云い出でたり、依りて役員は勧進元高砂の代阿武松緑之助八角灘右衛門、及び取蹄雷権太夫等の役員と協議のうえ決答せんと答え、力士はなお念を押して明日中に是非返答ありたしと約してその夜は別れ、翌四日目は何事もなく一同出勤し、同夜役員等協議を遂げ力士の申条ももっともなればと各部屋持ち年寄の配当金に対し東西幕内力士は五分幕下十枚迄は同二分の賞与を出す事に決し、その旨鳳凰等に交渉せしに、一同は協会が迅速の承諾に満足し、我等は決して多少を論ぜず望みのかどさえ立てば結構なり、とてたちまち和解しこの上は欠勤せずして一心に働かんと皆勇み立ちしという。
・初日以来の好天気に日々大入りなれば最早十日間の総入費は取り揚がり幾分の利益さえ見るに至りしかば、この後目下の景気にて推す時は各年寄は勿論力士等の配当賞与も少なからざるべしとは太平の余光めでたき事なり。
・人気第一の力士常陸山谷右衛門は、旧藩主水戸家より化粧廻しを賜りその他顧客の贈品おびただしき中に、男爵三宮義胤氏は刀工堀井胤吉翁作の一刀を白木の箱に収めて本所区長飯島氏に託し一昨日常陸山へ贈与されしかば、同人の喜び例えん方なく後日この一刀を持たせて一人土俵を踏むの期あらんかとしきりに力み居れり。

残念ながら雨天中止です。現在は初日前に町内を回る触れ太鼓ですが、当時は晴天のみ興行のため雨天中止の後の日にも通常は回していたようです。しかし太鼓の意味は「明日開催しますよ」ということなので、次の日すぐ開催したい場合には今回のように太鼓なしのケースとなります。取組の記事が無いので例によって爺さんが好き勝手に力士評を語っています(;・ω・)道具とか必要品とか言われている力士もいますが、いつの時代でも目立たなくとも頑張っている中堅どころというのは必要な存在です。頂キはちょっと特殊な技能力士のようですね、シンネリというのは粘り強い様子でしょうか。今後どんな活躍をしてくれるか楽しみになります。天津風は体を壊しかけのようですが大丈夫でしょうか?(;・ω・)そして明治後半の大相撲界はストライキの歴史、今回は収まったようですが待遇改善を求める力士側と協会側の紛争の火種はくすぶり続けます。
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2013年02月19日

明治32年春場所五日目 (朝日新聞/明治32.1.13)


○回向院大相撲
・昨十二日(五日目)は、朝来雪を催すべき空合なりしが、ようやくに持直したると好角家の希望する好取組の多かりしかば各桟敷とも前夜より悉皆売り切れ午前十時頃には立錐の余地なく大入り客止めの好景気なりし。
怪力藤見嶽は、出鼻を引掛け腰投げを打ちしが、己れと跡流れての勝。
濱湊達ノ里は、立ち上り上手投げにての勝は未来の荒岩と称するも可なり。
平岩小緑は、左四ツ投げの打返しにての勝。
霧島小石崎は、左筈にて寄るをは右差しにて寄り返す勢いに危くウッチャりたるが、の体は先に落ちしと物言い付きて預り。
磯千鳥駒勇は、の右を巻き左は互いに前袋を引きて引落さんとするも、劣らぬ業ものなればよく防ぎて勝負付かず遂に引分は大相撲にて、観客より分けろの声さえ掛りたり。
梅林千田川は、左四ツに寄っての勝。
西郷浪花崎は、西右差して押し切り西の勝。
尼ヶ崎若木野は、苦なく突き出しての勝。
岩戸川小西川は、突き合いのハタキ見事に決まりて小西ヘタバル。
高千穂荒雲は、矢筈に寄り進むをは土俵の詰めにて一寸耐え捨て身を打ちたるが、の体早く落ちしとてに団扇の上りしがはウッチャりしと物言い付けて預りとなる。
利根川待乳山は、二本を差しは右下手横ミツを取り左を殺して挑みしが、の下手には仕掛くる術なくは分を待つ如く中央に立ちたるままにて引分は面白からぬ取り口なり。
淀川橋立は、右四ツにては廻りて押し詰めんとせしが、はもたれ込んで勝を占む。
鳴瀬川鳴門龍は、突き合い激しく鳴瀬鳴門の出鼻をハタキて鳴門は両手をつく。
金山淡路洋は手先の競り合い、の出鼻をハジキたればの腰砕けて脆くもの負け。
嶽ノ越は、突合いの出鼻をハタキしよりの足流れての負け、の出来は大喝采。
松ノ風高ノ戸は、左四ツにてひと押しに寄るをは引落さんとするも余地なく、より釣り身に来られて他に術なく内掛けにて巻き落さんとするも、の伸びにて浴びせられての負けは是非もなし。
天ツ風鬼鹿毛は、左四ツにて二度首投げを打ちしが天ツ残して渡し込み天ツの勝はまづ上出来。
稲川八剣は、の立ち後れを付け入り突き出しての勝は実地の力量にはあらねどの働きなり。
頂キ小松山は、立ち上りはハタキての出直す鼻を付け入り左差しの右筈にて押倒し、小松の勝は近頃珍らし。 。越ヶ嶽不知火は、左四ツに組み不知は右上手を取りは右を絞りて寄らんとすれば、不知は足癖を試みて挑むうちに相四ツとなり、釣れども効かず水入りとなり、のち必死と挑みしも勝負付かずして引分は大相撲。
大見崎當り矢は、突き立ての懐に入らんとするをハタキたるが残して出直るを、は付け入り右を差し左を前袋に当てて寄り切りの勝は興味ありし。
外ノ海松ヶ関は、のマッタ数回ののちようやく立ち上り、二三の突合いにては突かれて脆くも腰を抜かしたり。
源氏山横車は、左四ツより相四ツとなり、の釣りをは耐え釣り返しての耐えるを一寸外掛に左手にてあごを突きて出したる業は余裕あって他に類なし。
常陸山大砲は、当日第一位の呼びものなれば場内どよめき渡りてしばし鳴りも止まざる中に、両力士は互いに化粧立ち数回にて念入りに立ち上り、は左を当て右下手に前袋を取り、は左上手に横ミツを取り左を巻きて投げを打たんとすれど、は動かずやがては左の巻き手を伸ばして後ろミツを取り、引寄せ釣らんとするも突張りて働かせず、水となりのち勝負付かずして引分は実に大相撲にてありしが、疲れは四分、六分の割に見えたり。
朝汐谷ノ音は、左四ツにて挑みより寄って打ちたる下手投げ決まりての勝は見事。
小錦海山は、立ち上り得意の合掌にて捻らんとする間には引上げもたれ込んでの勝ちなるが、今少し遅かりせば捨て身で勝つべき色見えし。

五日目です。この時期の記事には幕下の相撲がかなり紹介されていて貴重なのですが、中入後の上位戦などが欄外に追いやられて読めないのは残念です。記事の締め切り時刻の都合などもあったのでしょうから仕方ありません。さて取組は幕尻張出の天津風(あまつかぜ)が渡し込みで勝って3連勝。十両落ち寸前の地位ですから頑張って勝ち越さなければなりません。稲川は立ち合いに失敗して十両の八剣(やつるぎ)に突き出され3敗目。稲川はのちに三役に上がって活躍する力士なのですが、この頃はまだあまり強さを感じません。大一番は常陸山vs大砲、新入幕ながらすでにスター力士となって勝ち進む常陸山と、規格外の巨体と怪力ですべて押し潰す大砲、これは注目ですが結果は引き分け。さすがの常陸山も攻め手なく、大砲もまるで現代の把瑠都のような肩越しの吊り上げまで見せる熱戦でした。
明治32年春場所星取表
posted by gans at 21:51| Comment(0) | 大相撲