2013年02月14日

明治32年春場所四日目 (朝日新聞/明治32.1.12)


○回向院大相撲
・昨十一日(四日目)日和の持ち直したると好取組の多かりしため貴顕紳士の来場多く、殊に高砂への義理総見物等ありて場内立錐の地もなき程の大入を占めたり。
綾渡野州山は、相四ツにて綾釣っては危うく渡って残り、すぐは釣って持ち出さんとすればは泳いで効かせず釣り返しての勝は激しき角力なりし。
朝日龍立嵐は、右差し左筈にて寄るを立は上手捻りにての負けは余り相手を馬鹿にしたる結果なりと思わる。
照日山小武蔵は、はすぐ潜っての左を外襷に取り、相手の落ちてもたれかかるより体をかわして上よりもたれ潰したる早業は他に類なし。
最上山梅ノ矢は、相四ツにて釣ったるを延びて残さんとするより、もたれ込んでの勝。
荒鷲緑嶋は、左四ツにて寄り身に行くを得たりとは釣りたるより、体を引かんとして体の浮きたる隙を捻っての勝は手に入ったものなり。
朝日嶽玉ヶ崎は、左四つより相四つとなり釣り合いの一点にて釣って勝を得たり。
有明栄鶴は、突合いの出直る端を巻き倒しての勝は手際なりし。
岩ノ森熊ヶ嶽は、は右差しの右を殺しは上手横ミツを取りて挑みしが、は下手に組みて寄り切らんと体を延ばすを受けつつ捨て身にての勝は毎度ながら僥倖というべし。
大嶽緑川は、小手を引掛け蹴倒さんとするも、の踏張りにて効かずかえっての腰崩れて敗を取る。
大戸川鉞りは、左四つにて例の首投げを打ちしも効かずして浮くをすかさず鉞りが釣ったるよりは泳ぎ廻りてもたれたるも、すでに体支えしての勝。
鶴ノ音國見山は、右差しにて寄るを足癖にて防ぐより、渡し込んでの勝は苦なし。
高ノ戸高見山は、高見左を当てて一斉に寄るより、外さんと逃げ身になるを付け入り押切って高見の勝。
八剣稲瀬川は、左を差して寄る勢いに耐える力なく踏み切っての負は幕に入りたる甲斐なし。
鶴ヶ濱増田川は、は左を差して寄るを詰めて耐え、捨て身にての勝は綺麗なりし。
鬼鹿毛響升は、の左差しを巻き右は攻め合い挑みしが、やがての得意なる首投効きて見事の勝。
玉ノ井千年川は、筈の殺し合いにて寄るをは詰めにて右を首に掛け巻き落さんとするも、のもたれに耐え得ずして倒る、素人相撲にもかかる取り口は少なし。
當り矢北海は、は左を差し右を筈にかい、は右を巻き左を殺して攻め付け小手投げ打っての勝は大働きなりし。
梅ノ谷大纒改め出来山は、寄せ付けず右の突張にて出来は軽く土俵外へ落つ。
松ヶ関逆鉾は、二三度突き合いの右を筈にかいて押進むに、は外す余地なくして遂に土俵を割りしはの素早さ技倆には敵し難しと見えたり。
鳳凰若湊は、左四つにてしっかと組みは釣らんと左上手に横ミツを探る途端、は上手捻りにて見事の勝はの老練返り咲きともいうべし。
狭布里小錦は、前年初日に敗を取りしより観客も如何あらんと見る間もなく、は苦もなく突き出しの勝は当然にて狂いなし。
・中入後、谷ノ川は、双方とも東の顔触れなるも土付かず同士なるよりは西に割られし好取組なり、両力士とも直ちに上り左四つにしっかと組みしが、下手を打ちて見事の勝。
松ノ風嶽ノ越は、の左を巻きより下手投を打ちしがは首投げを打ち返して見事に決まりての負はのアセリし故なれば今少し慎重なれば良かりしに、惜しき事なり。

四日目、梅ノ谷は出来山(できやま)を軽く突き出して4連勝。出来山は番付には大纒として載りましたが、二枚鑑札となって改名しました。番付発表後の改名はこの時代たまにあります。大関鳳凰は若湊に不覚を取り2敗目。横綱小錦は本領発揮で3勝目。中入後、十両の甲(かぶと)と谷ノ川は入幕を狙う元気者同士の対戦。十両以下では同じ方屋同士の対戦は言うほど珍しくはありません。結果は谷ノ川が下手投げで3連勝。この時代の十両、基本は隔日出場のはずですが上位は幕内との対戦もあるため八日くらい出ます。しかし下位でも毎日のように出る力士がたまにいたり、割と不公平です(;・ω・)この辺はっきりした決まりがあったのかどうか分かりません。人気があったり有望な力士が多く出させてもらっているようにも見えます。
明治32年春場所星取表
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2013年02月11日

明治32年春場所三日目 (朝日新聞/明治32.1.11)


○回向院大相撲
・昨十日(三日目)は朝まだきより曇天なりしが、二三の好取組のあると前々よりの付け込み総見物のありしとにより場内溢るるばかりの好景気なりし。
尼ヶ崎小西川は、小尼より寄られて廻らんとする後ろより突かれての負け。
待乳山千田川は、左四ツにては上手ミツを取り捻らんとせしには下に潜り右外枠に取って反りを打ちたるより、は耐える術なくしての勝は妙手。
高千穂岩木野は、互いに左を当て右を巻き挑みしがやがて無双を切って寄り進むを、は土俵際に踏み耐えて廻りたればは己れの力にて敗を取りたり。
若狭川改め橋立鳴瀬川は、の突掛けに危うくなり寄り返さんとする鼻をは送り出して勝を取りしは体量の優りし徳なり。
岩戸川鳴戸龍は、左四ツの競り合いにて右を引きすぐ釣って勝は先づ当然。
淀川淡路洋は、右を取って泉川に掛けしもは全身の力にてよく防ぎ、の少し緩みしを其のまま筈に当て押切っての勝。
金山利根川は、突き合いハタキ残したれど腰の据わらぬ間により突き出して勝は儲けもの。
荒雲嶽ノ越は、突き合い烈しく寄り進むより、はここを先途と防ぎ左外掛にて巻き倒さんとせしも、は浴びせての勝は相変わらず。
松ノ風は互角の技倆なるが、立ち上りすぐ諸筈にかいて働かせぬよりは具合悪しく体を開く途端、より付け入られて押し出されしは案外なり、もし四ツ身に組みなば面白かりしならん。
谷ノ川鬼竜山は幕下一二の好取粗にて、両力士は荒々しく突き立てしがは素早くハタキてのヒルムを又ハタキて敵の体屈むを又々ハタキ直し突き出しての勝は残念なりしならん。
天ツ風高見山は、左四ツの捻りにての勝は前後にあるまじ。
頂キ不知火は、右四ツより合四ツとなり頂キ釣り身に行くを不知は釣られじと体を引く鼻を捻って頂キの勝は綺麗。
響升御阪山は左四ツの押切りにての勝は評すまでもなし。
越ヶ嶽狭布里は、立ち上りは首投げを打ちしがは残してすぐ左内枠にて見事の勝はの馴れぬ技を施したる故なり。
外ノ海鶴ヶ濱は、右四つにしっかと組み外は満身の力にて寄り進むより、負けじと外掛にて防ぎしももたれ込んで勝はの前途思いやらる。
大見崎鬼ヶ谷は、双方劣らず突き合い一寸ハタキて効かず、また突き合い突き出しての勝は得意を敵に占められしなり。
稲川谷ノ音は、右四つにては左を巻き左前袋を引き体を落して足癖を防ぎ居れば、流石のも仕掛ける術なくして水となり、のち同様にて引分、観客は面白からぬも力士は疲れたり。
源氏山松ヶ関は、右を当て左を巻きは右を筈にかい左を巻きて互いに揉み合い、やがては左上手横ミツを取り釣り身に行くもは支えて釣らせず、水入後双方とも取り疲れて引分は大相撲にてありし、この角力今少し都合よくば面白かりしならん。
若湊大砲は、の右差しを抱えて其のまま押切りの勝は小児を弄するが如し。
朝汐大蛇潟は、の左差しをは巻き左を筈に当てしが、は十分の取り口で右に前袋を引きて攻め寄るをは耐えて寄り返したるが、又も攻め寄るには体を外して二丁投げを打ちて決まらんとするに、の体先に落ちしとて団扇はに上りしが、の体は土俵内にありかえっての体は無しとの物言い付きて丸預りとなりしは、の不幸は儲けものなりし。
小錦玉ノ井は、左四ツにて釣り身に行くをは釣られじと足癖にて防がんとする隙にの勝。
・中入後、鉞り國見山は二三合突きての勝は相撲にならず。
八剣鶴ノ音は、の二本差しにて苦なく釣り出し八剣の勝は素早く得意を施したるによる。
増田川高ノ戸は、突き合い逃げ損じて踏切りの勝はの妙手も出でざりし。

○角觝雑俎
・水戸出身なる当時日の出の力士常陸山は、当場所初日に徳川侯爵(旧水戸家)より化粧廻し一領及び金三百円を頂戴せしと、その勢い虎に翼を添えたるが如きものあらん。
大戸平廣吉は来たる五月の大相撲より検査員に加わるよう当選になり居りしが、現任検査員清見潟が弟子清見潟の名跡を譲りて辞任し欠員を生ぜしため大戸平は更に亡師尾車文五郎の名跡を襲いで検査員になり、すでに一昨日の初日より四本柱の一隅に控え居れり。
・貧乏神へ背進したる小天竜は、今度旧年寄荒汐の寡婦に示談し其の名跡を譲り受けぬ。
・行司木村銀次郎は行司を廃業して年寄峰島の跡を襲ぎ桟敷監査役となれり。
・かねて噂ありし好角同志会員は、一昨日本年第一回の総見物をなし場所終わりたるのち中村楼にて懇親会(会費一円)を開き各力士も来たりすこぶる盛会なりしが、来会の筈なりし板垣伯には事故ありて出席なかりしと。 ○ひいき相撲
・力瘤というもの手足の節々に張るべきを、もし誤まりて頭部面部に現れなば余程奇妙の姿となり角力場の諸見物はさながら百鬼夜行の絵巻物、帽子衣類の羽なくして宙を飛び喝采の声の雲晴れながら雷を起すなどは何でもなき事となるべし、その絵巻物の一人に本所区若宮町百三十八番地の鋳物師右田萬次郎(四十一)という角力好きありて町内の評判男、未明に響く櫓大鼓に天下泰平の音あれど家内は為に安全ならずソレ相撲が始まったと自己が商売を晴天十日間休業して見物に行き、今日の取組も面白かったが明日はまた好い取組があるよと番付をくり広げ、モシ私の贔屓を当てて見なさい、ナンノその様に同という字を五六人共同で担いで居る同居人とは違います、憚りながら当時西の前頭四枚目海山関という強者さ、ナニ贔屓の引倒しだ?是れはけしからん角力に引倒しなどは洒落が悪い、と骨を折って肩を入れる海山びいき例も前夜より取組を枕辺に置きて海山を勝たせたいとの一念よりウロ覚えの四十八手敵がこう来りゃこう差してそこだヨイショと大声を発し家内の夢を驚かせしもたびたびなりき、この男大場所二日目に海山常陸山との取組と聞くや我が身の一大事より気を揉みて首尾よくに勝たさせたまえと神仏に祈りアア常陸が今夜のうちに痩せ細り序の口位の力量に減じたならこんな苦労はあるまいに、と冗な考えも起こりしに、ましても強いがどうでも是れは常陸のものらしいと人々の評判一致せるより萬次郎は大不平、せめて評判だけでも勝たせたいと湯屋理髪床に押し掛けて常陸のひいき争い、大概の人は体よくあしらいて「なるほど常陸の水戸と甲斐の甲府といずれ力が遠いとも云えませぬ」ナニサ旅角力の話ではない大場所の取組の事だ解らねえぜと泡を吹いて力み返り、二日目は早朝より見物に赴き溜り際に座を占めて頭から砂を浴びるも更に恐れず今や遅しと待ち構うるうち番数も取り進みていよいよ海山常陸山両人の取組、サアここだしっかり頼むぞと肘を張り肩をそびやかして海山海山と呼び立つる声も枯れんばかりなりしが、笑止や団扇は常陸に上がりて噂の如くの負に萬次郎の失望一方ならず、叶わぬまでもおのれ常陸に武者ぶりつき指の端でも喰い欠かんと焦るのみ、いまいましさに後の相撲も見ずトットと帰宅すれば女房おもとは待ち受けて、用の多い所をいい加減になさいと一本極めつけたるに、只さえ癪に障り居たる今日の勝負の思惑違い、その鬱憤を女房に向けてエイうるせえ手前などがツベコベと口を出すから関取が負けたのだ亭主の贔屓相撲を負けさして済むと思うか、と突然火鉢に掛けたる土瓶を取って浴びせかけすぐハタキ込んで亭主の勝という所を女房もさる者、軽く廻り込みて亭の出鼻を突くをすかしながら引落されて女の負、されども亭に無理ありと物言い付きて行司代わりの警官が説諭に、場所預かりの成敗は是非なし。

幕下の待乳山(まつちやま)は二枚鑑札の元十両勝平、潜り込んでの反りが決まって業師まだまだいけます。外枠というのは現在聞かない技名ですが足取りのような感じでしょうか。場所前に引退報道もありましたが誤報だったか方針変更か、現役を続けて来場所には十両復帰も叶えてみせます。幕内の越ヶ嶽(こしがたけ)は内枠で勝利、狭布里(きょうのさと)が首投げに来るのをこらえて相手の足を内側からはねあげて倒したのかなと想像します。現代ほどの巨漢力士はいませんので足を使った技が多く見られます。ニュースの方、前頭3枚目に下がっている元大関の大戸平はすでに引退して早くも勝負審判になっているようで、欠員のため予定より一場所早まったと報道されています。木村銀次郎も引退、昔は行司も親方になることが可能でした。峰島は峰崎の誤記でしょう。桟敷監査役というのは場内整理係のことでしょうか?最後の記事は海山の熱狂的ファン、本人は真面目なのでしょうが面白いです(笑)
明治32年春場所星取表
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2013年02月08日

明治32年春場所二日目(朝日新聞/明治32.1.10)


○回向院大相撲
・昨九日(二日目)は朝来少しく雲出でしも、後には快晴となれりしかば来観者は前日に倍したる勢にて、柳橋他二三の総見物等もあり景気極めて好かりし。
甲岩野州山は、野州の若手人気力士だけありて突きの一点挟み出しの勝、前途有望。
照日山緑嶋は、照日前場所附け出しの当時の技倆には劣りし如くなるも押し切って勝を占めしは腰の強き故ならん。
小櫻小武蔵は、初切りの名人にて小武の方やや優りしが、小櫻の立ち後れを小武すかさず右を当てければ、小櫻はこれを引落さんとするを小武渡し込んで勝を占む。
朝日龍朝日嶽は、左四ツにて挑みは首投げに行くを、は残して逆投げを打ちしが極まらぬより直ちに持ち出しての勝は大出来。
梅ノ矢岩ノ森は、左互四ツにて挑み下手投げを打つもはウント耐え直ちに打返したる早業老巧なり。
最上山玉ヶ崎は、カッタリ組みて押し合いの延びに最上は浴びせられて土俵を割る。
荒鷲大嶽は、左四ツよりの下手投げを危うく残しの右上手投げにて見事に極まる。
栄鶴熊ヶ嶽は、左差し右筈にて一斉に進むには耐え得ずすでに危かりしが、廻り込んでの勝は僥倖。
有明緑川は、諸筈の寄倒しにて苦なくの勝。
鶴ノ音鉞リは、右差しの内掛にてもたれ込みの勝は面白く、二代目谷ノ音の呼び声ありしに反し、はこの頃の米価と悪評を受く。
國見山谷ノ川は当日の好取組、より左差しにて寄るをは耐えて烈しく突き進みの懐狭きは見て附け入り、左差しの右差しにて寄り切りの負は案外なり。
淡路洋八剣は、より首投げ打てばは引落さんの龍虎の勢いにて挑みしが、朝日のには敵し難く、挟み附けの四ツにて寄られての負。
御阪山高見山は、左四ツにて釣り身に行くを御阪先途と防ぎたるは、は振って勝を得たり。
鬼鹿毛増田川は、突き合い一寸耐えるをすかさずハタキ込んでの勝は、に劣るによる。
横車稲川は、の右差しを上手に捲き右を差さんとする間に寄り切ての勝。
鶴ヶ濱若湊は、立ち合いの右差し左筈にて寄り進むには耐える隙なくして遂に寄り倒されの勝ちとなりしが、は土俵の詰めにてウッチャリしとて物言い付き丸預りとなる。
鬼ヶ谷北海は、烈しく突き立て二度まで引落したるも、の足早く附け入りしよりは渡し込むと見せて透かしたるが、は右を差して附け入る勢いにはは体軽くなりて遂に右外枠にて寄切られての負けは面白き角力にてありし。
大蛇潟大纒は、右四ツにて挑みより小手投を試みしが、は残しての体の決まらぬ間に突放したればの体土俵外へ飛ぶ。
梅ノ谷千歳川は、右を差して寄るを首投げを打ちてすでに決まらん様なりしが、は直ぐに釣り出しての勝は苦なし。
當り矢逆鉾は、激しく突き合いは突きまくられたれば軽く廻り込みての出鼻を弾きての勝ちは一瞬間。
鳳凰大見崎は、例の泉川に撓め突き放しは相撲にならず。
小松山小錦は、突き合い諸筈にて苦なく押切りの勝は前日の恥辱をそそぎたり。
・(中入後)荒雲は、立ち上り烈しく右差しにて一斉に押切る勢いを、捨て身見事にの勝。
嶽ノ越淀川は、二本にて前袋を引き寄ての勝は素早し。
松ノ風天ツ風は、は元気に左四ツの上手投を打ちしが、天ツ残して寄る出鼻を又上手投を打ちたれば天ツの腰崩れての勝は大喝采。

國見山が十両として初登場ですが、入幕を目指して着実に力をつけてきた谷ノ川に寄り切られました。そう簡単には勝たせてくれません。幕内から十両落ちした高見山は御阪山(みさかやま)との対戦。この御阪山という力士は番付に載っていない力士で、大阪相撲からの参戦でしょうか。高見山は、一度入幕したら十両に落とされるのが珍しいこの時代にあって不運な陥落。もっとも前場所の唐辛、今場所の小天竜も十両に落とされて引退しており、番付編成方針において改革があったようです。當り矢(あたりや)はこの年に34歳になる遅咲きの力士で、ハゲ頭がトレードマークという個性派なのですが関脇逆鉾を相手に敗れはしたものの元気な相撲。こういう力士は人気が出るでしょう。
明治32年春場所星取表
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2013年02月03日

明治32年春場所初日 (朝日新聞/明治32.1.9)


○回向院大相撲
・昨八日初日の景況は引き続き好天気なりしため貴顕紳士の来観も多く落語家柳派の総見物、二三連中付け込み等ありて非常の好人気にて八九分の入りを占めたり。
利根川若狭川改め橋立は、突合いの腰砕けて突出さる。
淀川境嶽改め荒雲は、素早く二本を差して寄るを外さんとあせるうち釣られての勝は見栄えなし。
金山鳴瀬川は、は立ち端を軽く張りの寄る左を引張り体をかわして送り出しの勝は片眼に似合ぬ早業なりし。
鳴門龍すかさず突き出しの勝は相角力とは見えず。
稲瀬川嶽ノ越は、幕へ昇りたる初めと云い又土俵の敵は昨年六月横浜にて左足を砕きたる事あるも手取の評判ある嶽ノ越なれば、は念入りに仕切りて立つや左を当てて押切らんと進むを、は体を外し左を手繰りてトッタリを打ちしが決まらぬ先に踏み越しありての負け。
大見崎鬼鹿毛は、カッタリ合うや大見は敵の得意なる片合掌に巻きは左を当て右を巻きて防ぎつつ解けて互いに右を首に巻き左を差して揉み合い水となり、のち取り疲れて引分は興味薄かりし。
天ツ風狭布里は、は左を泉川に懸けしも効かざるより片手枠にて寄らんとするも、は左を預けて浴びせたれば天ツ支うる力なく腰砕けての負けは稽古の積まぬ証拠なり。
北海鬼竜山は、荒々しく突き合いは廻り込んで一突きに突き出す鼻をすかしたればは脆くも両手を砂につけたり。
越ヶ嶽海山は、の寄り進むを一寸すかしたれば、は落ちながら左足を取って掬わんとせしもは逃げ足にて巻き落としの負けは是非もなし。
黒岩玉ノ井は、素早く左を差して寄るよりは土俵の詰にて打返さんとするも、はエイと釣り浮足になって苦もなくの勝は段違いに見ゆ。
響升谷ノ音は、左四ツより合い四ツとなるや否は矢柄にて振り落しの勝は大元気。
源氏山大蛇潟は、の左差しを巻き左筈にて支え、は右前袋を引きて挑みたればは十分の取り口、流石のも手術なく押し切らんと寄るをは踏み耐えるを寄り戻し敵の力を借りて捻りたるはなる所なりとて大喝采。
稲川大砲は片仮名の卜の字の如く突くも動ぜず二三の突き手に土俵を越ゆ。
朝汐當り矢は、突き合いの引落し残りの左を片閂に懸け挾み出しての勝ちなるも、はよく働きたり。
小錦松ヶ関は、突合い突進するを防ぎながら廻り込めばの体やや浮きしをすかさずハタキ込んでの勝は大出来、今少し自重なりしならんには勝は必然なりしに惜しむべし。
・中入後、頂キ松ノ風は、左を差して釣り身に行くを、は二三足あとずさりしての出足遅きをすかさず肩透しにての勝は綺麗なりし。
外ノ海高ノ戸は、左を差し込んで寄るをの頭捻りうまく極まりての敗は実に脆し。

○大相撲番付
・回向院大相撲は既記の如く来たる八日初日にて非常の前景気なり、さて番付は一日早めて一昨々夜発表せしより取り敢えず前号欄外に掲載し置きしが、なお左に再録す。
・東方には欠勤すべきもの一人もなく、西方に大戸平の病気荒岩の事故欠勤あり、若嶋の帰参叶わざる代わり横車の再勤に埋め合わせたれど、一力大碇等の再勤なきは観客の遺憾とする所なるべし、また幕下にて手取りの待乳山御舟潟唐辛等は共に年寄となり柔よく剛を制したる知恵ノ矢の手練も老いては駑の例え三段目二枚に下がり、鷲ヶ濱もまた同段筆頭に下りしは気の毒なり。
・当場所の入場料及び諸物価は、木戸大人十五銭小人十銭、正面桟敷十日間売切り一間金二十四円、東西桟敷同二十二円、正面桟敷一日金三円四十五銭、東西桟敷一日金三円二十五銭(以上六人詰)特別席一人金五十五銭、二等席二十五銭、三等席十銭、土間同五十五銭、布団茶たばこ盆一組一人金八銭、一間に付き金四十銭、弁当一人前上等二十銭、並十八銭、すし上等二十銭、並十五銭、菓子八銭にてこのほか注文は時価によると云えり。(1.6)

新しい番付は、ともに前場所好成績を残した西関脇の大砲(おおづつ)、荒岩(あらいわ)の二人が張出の地位を入れ替え。梅ノ谷が新小結となりました。東の役力士は変動ありませんが、前頭4枚目に新入幕の常陸山が躍進。前場所の活躍からすると、いきなり上位に据えるのも当然と思えます。幕内の玉風が稲川(いながわ)に、岩木野が頂キ(いただき)に、それぞれ改名。いずれも江戸時代から受け継がれる由緒ある四股名です。会場の入場料や弁当、座布団レンタルなどの料金が紹介されているのも興味深いですね。例によって、1円=現在の3000〜5000円くらいで考えるとよいでしょう。料金体系としては木戸銭プラス各種追加料金です。弁当も種類が色々ありますね。さて初日取組は、横綱小錦が勝負をあせって松ヶ関にはたき込まれ黒星。悪い癖が出てしまい、大関時代までのような破竹の勢いはここ数年見られません。荒岩は負傷があったようで初日から休場、残念です。

新聞に掲載の新番付(上段が新番付、下段が前場所の番付)

明治32年春場所星取表
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2013年01月31日

明治31年夏場所千秋楽 (朝日新聞/明治31.5.26)


○回向院大相撲
・昨二十五日(十日目)は早朝より好天気のため相応の大入にて、目出度く千秋楽となれり。
岩ノ森梅ノ矢は、の内掛を耐えつつ廻り込んで釣出しの勝。
若狭川照日山は、下手に入りて押切らんと進むを引落しての勝。
磯千鳥朝日龍は、突き合いのハタキを残したるが、突きにての勝。
境嶽西郷は、西の左を手繰り泉川にて撓め出しの勝。
淡路洋司天龍は突き合い突張っての勝。
栄鶴八剣は、右四つにて挑みすでに土俵を割らんとするを廻り込み、釣出しての勝。
鬼竜山松ノ風は当日の好取組にて初めて拍手の音も聞こえしが、立ち鼻をハタキたるを残して押し切らんとするより、は寄りながらに釣りたれど右足を掛け仕返しての勝は綺麗。
小武蔵利根川は、突合い素早く頭捻りに行くを残され、すぐ突き付けての勝は見事なり。
嶽ノ越緑川は、差しの押合いの足すべり踏切っての負け。
稲瀬川常陸山は、脇ミツと前袋を引きは閂に絞り、解れて右上手を引きて挑みしが、はあくまで歩を譲りあえて仕掛けず、水入後引分はの愛嬌を賞せざるなかりき。
・中入後、朝日嶽高千穂の左差しをは巻き左筈にて挑み、解れて左四ツとなりすぐは寄切ったり。
・是より三役、成瀬川岩戸川突き合い突き出しての勝。
國見山谷ノ川は烈しく突き合いは二三度張っての出鼻をハタキ込んでの勝。
鶴ノ音は、右四ツより右を差せばは二本に脇ミツを引きて挑みしが、遂に相四ツとなり互いに仕掛けも出来ず、水入後取り疲れ引分にて千秋楽となりぬ。

○力士放駒の末路
・今を去ること四十年前、江戸相撲の幕下三枚目に放駒と呼ぶ力士ありし、静岡県岡部宿出生にて本名を小畑徳次郎(本年六十九歳)と云い、一時は場所の人気取り相応に腕を鳴らせし男なれど、誰にも大敵なる年の関と顔合せ一年毎に敗が込んで維新の後は土俵を去り、全く素人の身となりたり。
・さて放駒の昔仲間の力士と連れ立ちては吉原の廓通いにいつも立寄りたる田町の引手茶屋某方におまさ(本年六十七歳)と云う娘あり、放駒の徳次郎が力士気質のさっぱりしたるに思いを掛けついに二人は夫婦となり、おまさは別に一軒の引手茶屋を開業し、共稼ぎに日を暮らすうち、放駒は力士をやめ夫婦の間には長男寅蔵(二十)長女おふくの子供も出来て、追々暮らし向きも骨の折れるに詮方なく引手茶屋をも廃業し、寅蔵は或る人の世話にて浅草西仲町の足袋屋某方へ奉公に住込ませ、おふくには因果を含めて吉原江戸町の芸者屋山田屋へ芸者に売り、その金にて夫婦は江戸町へどぜう屋を開き最初はすこぶる繁昌し、またおふくも名を小福と呼びて見番の流行妓となり月々いくらかの小遣い銭をも送り越したれば、徳次郎おまさの夫婦もホット安堵し暫らく息をつきたるが、不幸にも小福は八年前二十一歳の花の盛りを病気のために折り去られあの世へ出稼ぎする身となり、且つどぜう屋の店も次第に衰えそれこれにて店を畳み、ひとまず同区金龍山下瓦町二十一番地の長屋を借りて侘び住まい、他日の運を待つ甲斐もなく貧しさはいとど募りて弱り目に祟り目とやら、徳次郎は昨年の暮より病気となり、とる年の元気もなければ昔の面影もさらに残らず、姿は同じやつれ果てたる女房おまさが朝夕の介抱その隙には煙草の葉巻きを内職として僅かの賃銭に辛くも南京米の粥をすすり露の命を繋ぎ居れり、かかる中にてせがれ寅蔵の不埓なる早くも主家の足袋屋を飛出し勝手次第に諸所をうろつき、その身は麻布三連隊の後備兵なりしかば、二十七八年の役に従軍したる功により一時賜金二十五円の恩賞に預かりながら親元へは一文の送金もせず、みな遊興の資に遣い捨て目下は朦朧車夫の群に入り賭博と遊興にふけるのみか貧しき両親を脅しては只一枚の衣類さえ奪い去って金にする不孝無道の悪行に、父はもとより母のおまさは涙に暮れ、昨朝その筋に出頭しせがれ寅蔵への説諭を願い出でしとは昔に替わる夫婦が落ち目気の毒と云うも愚かなり。

千秋楽は十両までの取組ですが有望力士も多く出ており客入りは良かったようです。常陸山はここまで9日間で幕内8人を含む全員を倒して9連勝、千秋楽は十両の稲瀬川戦ですから楽に勝てそうでありますが、仕掛けず引き分け。千秋楽なので遊んだということなのでしょうが、愛嬌があるとして観客から賞賛されています。現在なら無気力と言われるか八百長と言われるか、このあたりは時代とともに相撲の見方も変わるということです。全勝という快挙をいとも簡単に手放してしまうあたり、大物ぶりを示していると思えます。國見山もこれより三役で結び前に登場して快勝、来場所は番付を上げてくるでしょう。記事の方はある元力士の老後の話で、娘が早逝して息子は親不孝、貧しく暮らしている夫婦とのことであまり楽しくありません(;・ω・)
明治31年夏場所星取表
posted by gans at 08:52| Comment(0) | 大相撲