2011年07月28日

明治31年夏場所四日目 (朝日新聞/明治31.5.17)


○回向院大相撲
・昨日の四日目は前日に引続き二三連中の総見物ありて大入を占めたり。
境嶽大戸川は、突き合い滑って大戸の負けは煙の如し。
鬼竜山金山は、の前袋を取って寄らんとすれぱは突掛けの廻り込む途端突き出しての勝。
成瀬川小武蔵は、は小粒なれば突合いながら懐に飛び入らんとするもよく防ぎ、遂に押し潰しての勝は大兵の徳なり。
嶽ノ越大嶽は、の左前袋を取り右差しにて釣り身に行くを、は防ぎなからに右首に巻き足癖にて寄倒さんとすれど、もさるもの容易に決まらず土俵の詰めにて支えつつ棄て身を打ちたるが、早やの体は土俵に支えに団扇上りしも、の棄て身には五尺も高く上り転々して逆に西溜りへ落ち入り強く頭上を打ちて一時気絶の体なりしが、溜りに控えし力士等の介抱にてようやく正気になり行司の勝ち名乗りを得て引込みたり。
岩木野は、右を差し左前袋を取り、は左上手ミツを引き右は巻きて挑みしが、遂に釣っての勝は先にに立ち後れありと弁護せる者もあれど、十分の取口なればあえて立ち後れには関せず。
小天龍北海は、突き合いの二本差しにて寄りは小天防ぎ切れずして負け。
鬼鹿毛大纒は、の二本差しをは閂に絞りて振りたるもの踏張りに効なく、再び内掛けに行くもまた効かぬ間には差したるまま寄り倒しての勝は評する程にあらず。
玉ノ井千年川は此の社会の恩給者、互いに勝たん勝たんとする気は充分に見え双方とも念入りに仕切り、やがての右を巻き左は殺し合いつつより内掛を試みしがは防ぎて、しばし揉み合いしがは内無双を切って落とさんとすれどはウント踏張りし途端、切返しての勝は大手柄。
横車響升は相四ツにて釣合い、釣っての勝は得意の壷に入りしと旁々お詫の叶いし初日なり。
谷ノ音常陸山は、今日数千の観客を招きし一部分、の呼び声四隅に起こりし内に二力士は清く仕切りて立ち上り、は十分得意なる左差しにて右上手に首を巻き寄らんとするを、は右を片閂に掛け左を当てて押切らんとする間に、は寄りて襷掛けにて巻き倒さんと焦るも、は踏張り全身の力右手に呼び無理に逆投げにての勝は、の得意劣りしにはあらでの力量強きにあればも笑い常陸も笑いて引込みたり、このとき纒頭は降りて土俵を埋めたり。
梅ノ谷逆鉾は、前項の取組みより面白かるべしとは仇口なり、少しく立後れせしもののの鉄砲肩口に当たり僅か二突きにて東溜に落ち入りし、は常の逆鉾にあらざるべし。
大砲若湊は、二三に数えらる好取組なるが、も元気よく且つ秘術二三を自得せし際なればが突きを透かして腰を砕きし途端、突きまくっての勝は呆気なし。
鳳凰黒岩は、前日荒岩に勝ちし今日なれば面白しと云うもあれば又荒岩は親密の間なれば土俵を譲りたるなりと評する間に二力士は立ち上り、左四ツにては右上手ミツを取りて釣りたれぱ流石のも泳ぎ出して防ぎしが、は素早く右外掛けにてもたれ込みの勝は大相撲にて、拍手喝采の声しばしは止まざりし。
小松山小錦は、左差しに右は筈に当てて平に押切り進むを、小松は土俵の詰にて支え棄て身を打って団扇を取りしが、東溜りより小松の棄て身は決まらずと主張すれば西溜りにては小松の体未だ落ちざるうちに踏切りありと主張して双方の争いとなり、東西四本柱の検査員総立にて東西交渉合議の末、預りとなりしが星は五分五分にありし。

○角觝興行の株券
・株式組織の流行はひいて角觝にまで及ぼし、今度回向院の本場所興行打上げ後、横浜にて興行の約成りしを幸い同地の催主は市内に資産ある好角家に謀り一株五十円ずつの株五十枚すなわち二千五百円を募り、是を資金に宛つる事となし、なお客筋は同地のみならず東京よりも足を運ばせんとて人気ある力士の取組方にそれぞれ注意する所ありたるに、前景気すこぶるよく右募集株はたちまちの間に満株となり、以来同様の売買盛んに行なわれ其の価格も次第に騰貴し、目下の相場は一株六十円内外となりしが、開場までにはなお此の上の高値を現わさん勢いなりという。

響舛と横車は今場所番付に名前が無く脱退していたようですが、復帰して番付外で幕内の土俵に上がっており、響舛はこの日から出場。「お詫びの叶いし初日」となりました。常陸山と谷ノ音の対戦、得意の河津掛けも歯が立たず常陸山の勝ちですが、やや力任せに過ぎる感じもします。黒岩は鳳凰を外掛けで倒して4連勝、連日の大殊勲となりました。鳳凰は初黒星。前日に危うく勝った横綱小錦は、小松山にうっちゃられそうになり預かり。大物喰いの相手ではないだけに、もったいない星でした。大砲は4連勝。人気力士が出揃い、場所後の巡業も盛況が見込めるため出資金を募る方式まで現れたようです。
明治31年夏場所星取表
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2011年07月23日

明治31年夏場所三日目 (朝日新聞/明治31.5.16)


○回向院大相撲
・昨十五日(三日目)は朝来の好天気に加え、日曜日と云い職工連の休業なれば午前十時頃には早や立錐の地もなき大入を占めたり。
緑川松ノ風は、釣りての勝は苦もなし。
利根川西郷は、左四ツに組み投げを打ちしも残されかえって西は引立て寄り切っての勝まづ上々。
谷ノ川嶽ノ越は幕下にては三役に数えらるる好力士、は下手に左を差し右筈で当てればは右を巻き左上手にミツを取りて投を試みしがは腰を落して効かず、少しく躊躇の体なりしがやがては筈手に全力を寵めて押切りの勝は面白し。
成瀬川稲瀬川は、立ち上り突きの一点にての突き掛けを透かし弾きて体のよろめくを突き出しの勝は、相手の未だ若きに依る。
一力は、突き合い諸筈にかかって押切りの勝は呆気なく、一力の手術を施さざりしは休業の故なるべきも余り見劣りのせし相撲なりし。
玉風常陸山は、満場拍手歓呼のうちに迎えられ悠々と土俵に上り仕切も饒に立ち上るや否なの左を引込み右を当たると見る間に面倒と云う風にて掬いし力に、は右を差す間あらせず土俵の詰に打倒されしは格段の違いにてありし、此の分にて押し行かば強敵は最早の眼にあらざるべし。
高見山不知火は、右筈にて押切らんと進めば不知は早くも寄り返し左を強く押切って勝を占めしは老功の致すところ、も術なし。
増田川小天龍は、突合い小天鼻頭を突かれて出血の痛にて引分は僥倖。
大見崎狭布里は、大見左差しにて平に押切らんと進むに、は危うくなりここ盛り返さんと右上手を取って一本背負に掛けたるも、大見のアビセに体潰れての敗。
鬼ヶ谷玉ノ井は、二本を差し挟んで寄り切りの勝は大出来大出来。
源氏山梅ノ谷は当日一等の好取組、場中は割るるばかりの喝釆にて二カ士は念入に仕切り気合を量って立上るや否な左四ツにしかと組み、は打つは寄らんとするも互いに効かずただ中央に仁王立ちにて暫し憩う体ゆえ水となり、は右上手を巻きは右上手ミツを取りて揉み合うばかりにて引分は何れにありても仕掛るは損との横着なり。
黒岩荒岩は前に次ぐ好取結み、相四ツに組みは下手投げを打たんと寄る鼻をは得意の櫓に懸け地上三尺高く釣りたるに、は腰を落して釣り返さんとウンと力を入れるを、はドウツキに落したればは自分の力と敵の力にて腰砕けて右膝を突きしは案外の勝負、必ずや観客は怪我負と註解せん。
朝汐鬼鹿毛は、二本を差されて他に手なく瞬間に土俵の詰めに寄せられ左を首に巻きて落さんとするも、の押し烈しくして敗は是非もなし。
小錦當り矢當り錦の横顔を張って立ちの少しくひるむを付け入り諸筈にて押しを今一足にて敗を取らん体なりしが、危うく廻りてハタキ込みにての勝ちは横綱だけありし。
・中入後、小武蔵鬼龍山は、の突きにも詮術く腰を挫く。
金山大嶽は、待った十余回の後ようやく立ち、は引掛け小手投げを打ちしも決まらず、逆に打って諸倒れの方遅かりしとて団扇はに上がりしも、物言い付きて預り。
熊ヶ嶽鳴門龍は、エイと声の聞こゆる間もなくの体は東溜りに在り、後にて聞けばの諸筈なりと。
北海天ツ風は、天ツ左差しにて寄るをは右筈にて防ぎしが、天ツ右上手を外枠に行き首投にて見事の勝を占めしは天ツの上出来かの弱きか。
岩木野横車は、立ち合いの左を引込まんとすればはイヤと引く、は更に付け込み押切って勝はまず拾い物。
大蛇潟鶴ヶ濱は、右四ツにてもたれ込み大蛇の勝。
若湊谷ノ音は、少し立ち後れたるにも撓まず受け止め、右筈にて寄る出鼻をは掬って勝を取りしは珍らし。
大纒大砲は、の出鼻をハタキてヨロメクを二本にて支え悠々西隅に押切ったるは子供の転ばんとするを助け起こして安全の地に持ち行くが如し。
逆鉾小松山は、左四ツにては釣らんと寄るも小松は大兵にて右上手ミツを取りて釣らんとするより、は下手に入り左を巻きつつ寄り倒したる手際、最も面白く観客を喜ばせたり。
千年川鳳凰は、突出しの勝にて打出したり。

先場所の九日目に復帰してきた一力は、幕内格の張出として番付に載りましたが、十両の甲(かぶと)に敗れて3連敗、相撲内容も良くなく「手術を施さざりしは休業の故」とあるのは「技が出ないのはブランクのため」という意味と解釈します。玉ノ井(たまのい)は諸差しで快勝。先場所まで高浪という四股名でしたが、勝平と同様に二枚鑑札で今場所から改名しています。源氏山vs梅ノ谷は三役の人気者と話題の新鋭との対戦、期待されましたがお互いに決め手なく引き分けでした。荒岩は黒岩に突き落とされて初黒星、観客の目には怪我負け、つまり取りこぼしに映るかも知れませんが、荒岩にとっては先場所に続いての黒星となり、取りにくい相手なのかも知れません。
明治31年夏場所星取表
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2011年07月18日

明治31年夏場所二日目 (朝日新聞/明治31.5.14)


○回向院大相撲
・昨十三日(二日目)は貴紳の観覧も多く、且つ柳橋連の総見物ありて場中非常に賑わいたり。
岩ノ森金山は、の寄身を受けると見せ体をかわして突き立てて突き切っての勝は綺麗なりし。
鬼竜山勝平改め待乳山は烈しく突き合いの小股を掬わんとせるもは防ぎて入れず待も術なく躊躇するをは右上手より右外枠にて掬いたれば何ぞ耐えんは仰向けに倒れて背に砂の付着せるは見苦しかりし、全体この手はの得意なるもの今は敵に奪われし技倆の劣り歎ずべし。
境嶽谷ノ川は、の突張りを二三歩逡巡して透かしたれどは付け込み突き出すより、詰を渡して逃げたるも損じての負は不出来なりし。
鶴ノ音熊ヶ嶽二本差しにて寄り倒しの敗は相変わらずの不出来不出来。
稲瀬川鳴戸龍は、左筈にて押切らんと寄るをはよく耐えて動かぬよりは右外枠にて寄り倒さんとするもまた動かぬを透かしてやや体のなる隙に体を斜めに逆投げ打って見事の勝ちが未だ見ざる所なり。
鶴ヶ濱黒岩は、二本を差し釣り身に行くをは右外掛にて防ぎしも効かず遂に釣られて東溜まりへ置き据えらる。
谷ノ音高見山は、左四ツにて渡りより釣り身に行くを得たりと十八番の一本掛にてもたれ込て団扇を取りしが、東溜りに控えし若湊の棄て身決まりての体早くも地に落ちしと物言い付き東西の検査員交渉の末、場預りとなり星は谷ノ音
天ツ風若湊は、天ツ気後れのせしか数回の待ったにてようやく立ち上り、左筈にて寄るをは透かしてハタキ込めば天ツころころと匍匐す。
梅ノ谷常陸山は本日中の好取組、互いの観客は劣らずと呼びと叫びて場中は沸くが如くなる中に、悠々と二力士は化粧立ち数回にてが突出すに、立ち後れたるにも怖れず左筈にて受け止め右上手ミツを取らんとするもの肥満容易に取れず躊躇の気味に見えたるを、は左差しにて押し切らんと進む勢いには軽く二三歩あとずさりせしより、は出足の遅き質なれば腰砕けたるに周章して進む出鼻をは上手捻りにて勝を占めたる大相撲は、満場観客一時に拍手のうち羽織帽子たばこ入れ、手当たり次第に投げ出し土俵は為めに埋まり弟子四人して持ち運びたるは未曾有の景気にてありし。
當り矢逆鉾は、の突きもは屈せず諸筈にて押切りしは天晴れの勝。
大砲大蛇潟は、右四ツに挑み大砲は手なく無理にも捻らんとし焦るを大蛇は耐えしが寄られて土俵間近くなるをは上から見て又も無理に捻り倒るるを見て笑いつつ引込んだるは大きし。
鳳凰大纒は、突き出しの勝は相撲にならず。
横車小錦は、押切りの勝は前項に同じ。

小兵の業師として十両で活躍してきた勝平は、年寄待乳山を取得して今場所から改名しました。二枚鑑札と呼ばれ、警視庁から力士として、親方として二種類の営業免許(鑑札)を受けていました。いわばプレイングマネージャーですが、大正時代までは現役のうちから年寄名を名乗ることが出来ました。現在ならば当然引退してからの襲名となるところです。さて梅・常陸の対戦、常陸山はいつもと違って簡単に廻しを取れませんでしたが、梅ヶ谷の出てくるところをタイミングの良い投げで勝利を収めました。場内熱狂、本格的な明治大相撲黄金時代がすぐそこまで来ています。
明治31年夏場所星取表
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2011年07月06日

明治31年夏場所初日 (朝日新聞/明治31.5.13)


○回向院大相撲
・昨十二日(初日)は朝来曇天にて烈風なりしも、やがて一天晴れ渡りしより追々観客詰め掛けてついに大入の好景気となれり。
司天龍有明は、立上り突き切っての勝。
岩戸川淡路洋は、の透かしを付け入り極め出しての勝。
鉞り松ノ風は、突き合いの下に組み入らんと進む出鼻をハタキての勝は当然なるが旧位置に回復するよう勉むべし。
高千穂成瀬川は、少しく立ち後れたるを突っ掛け腰の据わらぬためか苦もなく体崩れての勝は残念に見えたり。
利根川嶽ノ越は、後ろに入り右上手を取って引き落さんとすれど角力巧者のなれば腰を引きて耐えつつの寄るを押し切りもたれ込みて遂に勝を得たり。
常陸山不知火は、の初舞台とも云うべき大角力にて観客は皆勝負如何と待つ甲斐もなく、不知の左を取って泉川に懸け振り出さんとするを、不知も老練家なれば右筈にて防ぎつつ土俵を廻りてよく耐えしが、のウンと張る声と共に不知たちまち東隅に撓め出されしは大角力なりし、本日の梅ノ谷との勝負も面白からん。
千年川鬼鹿毛は、の平押しに防ぐ間もなく僅かに土俵の詰めにて砕かんとせしも決まらずの負。
小松山は、段違いなるに小松は堅くとり四回のマッタで漸く立ち上り、三度ほど突き合てに二本を差され大兵の小松の足も地を離れて土俵の外とは何事ぞ。
鬼ヶ谷小天龍は、の元気に小天のヨドミ耐え得ずして押切られ小天の負。
岩木野狭布里は、腰自慢の角力にて右四ツにて挑み合いとても果しが付かじと思いのほか、一寸注文中は得たりと引くと見せて捻りしが旨く決まりての勝は儲けもの。
源氏山當り矢は、例によって烈しく突掛け左筈に右上手を引きて押行く早業に、源氏は危うく残し寄り返しての左を殺し右上手に取って押切らんとすればは体を落して防ぎしも源氏は一寸捻りて見事に勝を占めてけり。
玉風荒岩は、ただ突きの一手にて突出ての勝は角力にならず。
朝汐鶴ヶ濱は、憶せず立上り四ツに渡らんと寄るを、は左手を引き込み泉川に掛けしも浅かりしため利かず、其のまま小手投げ打って土俵の外へ振り出したる力量は大関の貫目確かに見えたり。
小錦高浪改め玉ノ井は、の出鼻を矢筈に掛けても耐えて寄り返すより、は満身の力を出して押切らんと進む所をは体を透かし引落しての勝は是非なし。

木村庄之助方屋入の式
・相撲行司木村庄之助は先頃熊本に於て興行の砌り、司家吉田追風より方屋入りの式法を授けられしに付き昨日回向院大相撲場所に於て此の式法を行いたるが、身には素袍を着し土俵の中央には幣帛七本を建て開口して方屋開きの式より始め方屋祭を行いて幣帛に供物を供え木村家の古法例の如く執り行いたりという。

夏場所開幕です。のちに角聖と呼ばれ大相撲界に計り知れない足跡を残す大横綱・常陸山は関取として、記事の通り初舞台です。幕内経験の長い不知火が相手でしたが力任せにグイグイ攻めて勝利。荒岩以来の「幕下から一気に入幕」とはいきませんでしたが、東十両筆頭に据えられています。二日目にはいきなり「梅vs常陸」が組まれたようで、人気を呼ぶこと間違いなしでしょう。初日、上位陣は順当に勝利しています。朝汐は最近の評判通りに大関に昇進しました。前場所後半を休場してしまいましたのでラッキーな昇進と言えるかも知れませんが、ここ数年の実績、成績の安定ぶりが評価されたのでしょう。風格も十分に備わっているようです。横綱小錦は欄外に張出となりましたが、これは先代の横綱西ノ海と同様の措置で、先場所の記事にあったような「格下げ」のニュアンスは無いと思われます。以後、平成時代の曙の昇進時まで、「一人横綱は欄外に張出」が通例となります。
明治31年夏場所星取表
東十両1・常陸山谷右エ門
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2011年06月28日

明治31年夏場所番付発表 (朝日新聞/明治31.5.11)


○奉納角觝の光景
・一昨日九段の靖国神社境内にいて興行せし奉納角觝は、一月場所以来久々の顔合せなれば定めし面白き勝負のある事ならんと好角連はいずれも片唾を呑んで見物し居たるが、力士は回向院の大相撲を前に控えたるため奥の手を出すを見合せしと見え、取り口さまでに面白からず遊びの力士さえ多く見えたり、されど朝汐鳳凰常陸山の如きはさすがに眼に立ち荒岩梅ノ谷岩木野等はこれに次ぎて人目を引けり、幕下にては谷ノ川嶽ノ越など見るから頼もしき心地せられぬ、総じて力士社会にては地方より戻り来るものの日に焼けて黒くなるを見れば元気付きたりとて喜び祝うが常なれど、本年はいずれも元気揃いと見え荒岩小松山鶴ヶ濱小錦など常々色の白きものもすこぶる黒くなり、その他は皆黒き色になお黒の色上げをなしたる如くにて、見慣れし目にも珍しき心地せられたり。 ○回向院大相撲の番付
・明十日より興行すべき回向院大相撲の番付を得たれば例により新旧を対象して左に掲ぐ(番付略)右番付のうち、目下病気のため出席の難しきは大戸平海山外ノ海北海の数名にて、貧乏神へ退けられし唐辛も出席覚束なかるべし、また若島大碇の二名は今もって姿を見せざれば出席はなきものと思わる、なおその他にも欠席者あるべけれど勝負の上には意外に面白き取り口もあるなるべし、また式守与太夫に故師匠の名跡を継ぎて伊之助となり、木村亙は養家より立ち戻りて庄太郎と改め、木村正吉は先代の名を継ぎて庄九郎と改名の披露をなしたり。 ○角觝雑俎
・回向院の櫓の鳶明日は天気になれと啼けばにや昨日の昼頃少しく薄日を漏らせしが、地盤は未だ乾かざれば今十日の開場思いも寄らず止むなく一日延引し、今日太鼓明十一日初日と決したり、されど天気模様に依りてはなお此の上の延引あるやも知れず、雨は角觝の禁物なれどまた潤うという言葉もあれば、さまで力を落さず晴るる時まで待った待った。
・今回の本場所興行につき勘進元力士等へ贈り越したる幟の数はいつもにまして頗ぶる多く、東両国橋詰より細道へも建て連ねてなお所せう思わるる程なり、また新橋柳橋吉原等の各芸者連、三遊柳の両落語家連等の総見物付け込みありて上等桟敷はほぼ売り切れの好景気なりと。
・年二期大相撲の大番付は各力士とも競って買い求め己がじじ得意先へ配るを例とし、その売れ高も莫大の高に及ぶものなれど、本年は紙価印刷代等いずれも騰貴し一枚八厘の卸値段にては元方引合わずとて一銭に値上げを求めたるも、力士連は不服を唱えて承知せず、よって版元は止むを得ず従前の値にて売る事となり、その代わり数を売りて儲けんとし、もし番付発表と同時に新聞紙へ記載せられては売れ高に響く事もあらんとて秘密に秘密を尽くし居たりしが、果してその甲斐ありしや否やは未だ聞かず。
・諸式高値の響きは独り版元のみに止まらず興行人の如きは開場前より少なからず胸を痛め、もし興行中十日間も雨に降らるれば上白四升何合の米を各力士のために喰い立てられ如何なる損耗を招くも知れずとて、密かに申し合せ下白米に台湾米を混ぜ炊き出さんと計画せしに、早くも力士の耳に聞こえて一同俄かに騒ぎ立ち、南京米や台湾米を喰わされてこの力業がなるものか十日も喰って居る内に中ずりの毛が段々伸びて野郎頭が何時の間にかチャンチャン頭となるやも知れずとていずれも病気を唱え出し欠席せんと謀るより、かくてはかえって損なるべしとて四升八合の上米を食料に宛る事となしたり。
・各力士地方出稼ぎの結果、小錦朝汐の一行は多少懐中を暖めしも鳳凰大砲の一行は損益差引さまで残らぬ様子なり、また大戸平荒岩一行はかえって少しく凹みの様、鉞り境嶽の一行は大失敗なり、独り鬼の留守に洗濯の余徳ありしは稲瀬川谷ノ川の一行にて、東京より近県を徘徊し居りしため雑費かからずして意外の利益を占めたり。
・総じて力士の境界を見渡すに、或る二三の者を除くのほか本場所の興行近づく時は多くは芸者に買われ贔屓客に招かれ、身に美服を纒いて茶屋が元に幇間の真似をするもの多く、己が力量を磨かんよりはかえって遊興のみを楽しみとし、場所の勝負を心に掛けて力量の減ぜんを恐るるもの日一日と減ずる如く見ゆるは斯道のため嘆かわしき事にこそ。(5.10) ○回向院大相撲
・前号の紙上に記せし如く、いよいよ昨日太鼓を廻し本日を以て開場する事となりたり、今その場所の前景気を見るに、回向院表門内には二ヶ所の作り庭を設け、ここに今回の勧進元木村瀬平が去る頃浜離宮において天覧角力をなせし際その身に装いし装束姿の大額(これは神田区大和町菓子商舟木鉄之助より贈りしものなり)を飾り、吉原稲弁楼より贈りし積樽その他大国旗吹流し等を立て、両国橋詰より回向院境内までの間には贔屓客より各力士へ贈りし幟数百本を押立てたるなど、すこぶる好景気に見受けたり、さて今回の興行に付き幕内力士の給金を聞くに、 (五十円)小錦 (二十九円七十五銭)大砲 (四十五円)朝汐 (三十八円五十銭)鳳凰 (二十七円)逆鉾 (二十一円)荒岩 (二十七円)源氏山 (三十五円)大戸平 (三十二円五十銭)若湊 (二十六円五十銭)海山 (二十五円二十五銭)鬼ヶ谷 (十六円)梅ノ谷 (二十二円五十銭)外ノ海 (十六円五十銭)狭布里 (十三円)黒岩 (二十六円五十銭)谷ノ音 (十六円二十五銭)越ヶ嶽 (十六円)松ヶ関 (二十四円五十銭)千年川 (十四円二十五銭)小松山 (十九円七十五銭)大纒 (十六円七十五銭)鬼鹿毛 (十七円)大蛇潟 (十五円七十五銭)當り矢 (十五円七十五銭)大見崎 (十八円二十五銭)玉ノ井 (十三円)増田川 (十六円)不知火 (二十円二十五銭)北海 (十六円七十五銭)若島 (十五円七十五銭)高見山 (十一円五十銭)鶴ヶ濱 (十一円七十五銭)玉風 (十四円)天ツ風 (十四円七十五銭)岩木野 (十二円)小天龍 (八円七十五銭)一カ (5.11)

夏場所開催間近、天気は今ひとつのようですが各力士とも稽古を積んできているようですので熱戦を期待しましょう。番付は当時1枚8厘、現在でいう40〜50円といった感覚でしょうか。紙の価格高騰により1銭への値上げを検討したものの大ブーイングにより断念(;・ω・)新聞も気を使って新番付を前もって洩らすことなく売上に貢献しようとしたようです。巡業の方はやっぱり人気力士のいる一門は利益を上げましたが、十両力士を筆頭にした「小相撲」では大赤字のようです。
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